バッドフィンガー通信 Badfinger

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1960-70年代の音楽関係者の口寄せ専門だという潮来の指太郎さんにお願いして、バッドフィンガーのトム・エバンスさんを呼びだしていただきました。 
 
トムさん、お忙しいところわざわざ日本までお越しいただき、ありがとうございます。 
「いやいや、日本には来たかったんだよ。特に水郷の潮来とか恐山とか青木ヶ原とか。で、ピートのこと? 聞きたいの?」 
今回は、ミルウォーキー時代のことをお願いします。 
「ミルウォーキー? 1980年代。 ジョン・キャスだ」 
きっかけは? 
「ジョン・キャスはミルウォーキーでブッキング関係の仕事をしていたんだ。それでどこからか僕のロンドンの自宅の電話番号を見つけて、連絡してきたんだ。ジャーニーとかリトル・フィートのコンサートを地元周辺でやったとか言ってたよ」 
バッドフィンガーを復活させたいって? 
「うん。もともとバッドフィンガーの大ファンだとかで、フランク・シナトラにバッドフィンガーの曲を歌わせる方法もあるなんて言ってた」 
なんか怪しくない? 
「いや、真剣だったよ。ロンドンまで話に来るって」 
いつ頃のこと? 
「1982年の春。それでマイクと一緒にアメリカに向かったんだ。春の終わり頃だった。まずデトロイトに着いてキャスに会った。彼が言うには、バッドフィンガーとしてミルウォーキーに行き、そこを拠点に一緒にツアーしたり、昔のようにバッドフィンガーを復活させよう って」 
メンバーはどうしたの? 
「最初に、イギリスにいるボブ・ジャクソンに声をかけたよ」 
トム、マイク、ボブとそろえば本当に75年のバッドフィンガーの復活ですね 

「うん。ボブはずっと仲間だし親友だからね。詳しい計画に関してはキャスから直接ボブに説明してもらったんだ」 
ボブさんのその後のインタビューでは、キャスの話はすごく疑わしかった、つまり、そんなにうまくいくものなのかと思ったそうですが 
「それは言ってたね。でもボブは金よりも僕との友情、それにまたバッドフィンガーとして活動できるってことで参加してくれたんだ」 
給料は? 
「最初の話だとメンバー各自に週500ドル。それに公演があればその分もプラスするってことだった」 
ボブさん、ちょうど子供が生まれた頃でしたよね? 
「そうそう。エミリーが生まれたばかりだった。歌手になったんだって?」 
 
Emily Jackson - Walk Away 
 
 
こんなに大きくなりました 
「ボブは娘が生まれたばかりということもあって、とりあえず2~3週間の予定でデトロイトに来たんだよ。実際に予定通りうまく事が運ぶかもわからなかったからね。往復の航空チケットは出してもらったと言ってた」 
バンドとしての契約は? 
「それがね、キャスはメンバー個人ごとに独立して契約するのにこだわってたね。僕なんて最初にしたからその時はよくわからなかったけど、他のみんなよりなんかいっぱい契約させられていたよ」 
そういうのって、まずいんじゃないですか? 
「うん。まぁ説明を受けながらサインしたんだけど、いつも素面ってことでもなかったしね。後で考えると失敗だったね」 
期間は? 
「まずは8週間。その後で10週間のオプション」 
ボブさんの予定、大きくオーバーですね 
 
Badfinger - I Won't Forget You 1982 
 
 
 
ここまで口寄せした時点(2015/09/15)で潮来の指太郎さんが倒れ、その後体調が戻るのを待っていたんですが、回復せず。能力喪失。
潮来の指太郎
未完。 
 
 
 
 [創作] 元カルダーストーンズの Norman Bellis さんにインタビュー (1) (2) 

 [創作/潮来の指太郎] ビル・コリンズ編 
 
 [創作/潮来の指太郎] マイク・ギビンズ編 (1) (2) 
 
 

 
エルトン・ジョンのカム・アンド・ゲット・イット収録盤って種類が多すぎるけど 
 
Japanese URIAH HEEP Website MOONSHINE DREAMER'S WORLDに詳しく書かれています。 
デビッド・バイロンがリード・ボーカルで、エルトン・ジョンらがバッキング? 
 
http://www.travellersintime.com/Byron/Avenue.html に1968-70年にかけてのセッションワークのことが書かれています。  
  
David Byron (January 29, 1947 - February 28, 1985) 
   session CDs  [originally recorded between 1968 and 1970, for the Avenue label. David Byron is supported on vocals by artists such as Peter Lee Stirling (Daniel Boone), Reg Dwight (Elton John) and Dana Gillespie.] 

2012/01   CD   Artistry:LCE 290147     The  Early Sessions     2.Come and Get It  
David Byron Early vol 1 big back
David Byron Early vol 1
 
David Byron - It Don't Come Easy (1971) 
 
 
 
デビッド・バイロンを無理やりバッドフィンガーに結びつけると 
 
デビッド・バイロンのユーライア・ヒープ時代に短期間在籍したのが、その後 ナチュラル・ガス でジョーイ・モーランドと一緒になるマーク・クラーク。マークが在籍したのは1971年暮れから72年1月末までの2~3か月らしく、その時シングル発売された曲が The Wizard (Mark Clarke - Ken Hensley 共作) 。 
一番前で全身写るマーク・クラーク 
The Wizzard
Uriah Heep - The Wizard [Mark Clarke - Ken Hensley] 
 
Natural Gas - I've Been Waiting + Little Darlin' 
 
 
続いて、The Byron Band 時代には、元バッドフィンガーの ボブ・ジャクソン が参加していました。 
The Byron Band - King (1981) 
一番後ろで控え目に写るボブ・ジャクソン 
 
 
 
で、最後に 
デビッド・バイロンの本名は David Garrick (アイビーズがプロとして初めてバックに付いた David Garrick [こちらは芸名] と偶然同じ) 。 
 

 
昨日に引き続き、1960-70年代の音楽関係者の口寄せ専門だという潮来の指太郎さんにお願いして、バッドフィンガーのマイク・ギビンズさんにお越しいただいております。
 
前作に入っているレイアウェイはピートさんについての曲? 
「そうだよ。歌詞を聴けばピートのことが浮かんでくるだろ?」 
ピートさんは一般的には物静かでとてもいい人だと言われていますが、ライブ中に苛ついてピアノを蹴ったこともあったとか? 
「そりゃ、彼もアーティストだからね。そういうこともあるだろ。そういえば、ヘッド・ファーストをレコーディング中だったけど、ピートがチューニング中のギターをピアノに叩きつけたことがあったよ」 
ジョーイさんともステージで揉めたりしたと聞きましたけど、そういうことはよくあった? 
「あったね。ギターでいえば、ジョーイはグルーブを求め、ピートはメロディの男だった。でもピートはいつでもジョーイに合わせてギターを弾くことができたよ。もともとジャズみたいなものの素養があったからね。でも、よく衝突してた」 
それは音楽のことで? それともそれ以外の個人的なことで? 
「うん、どちらもあったね、両方とも」 
ピートさんが一時バンドを離れたのは、キャシーさんが主原因? 
「そうだね。そうだと思うよ。キャシーはバンドをマネージしようとしていたよ。みんなにアドバイスしたり、電話連絡したり。実際のところ、契約に関しても口を出してきたよ。まぁ、解散後のジョーイに対してやっていることと同じだね」 
 
バッドフィンガーの伝記本は読みました? 
「ちょっと読んだよ。で、興味がなくなって途中でやめた。結局は金儲けだね」 
どういうこと? 
「タイトルに The Tragic Story of ってついているから想像できないかもしれないけど、実際にそこで過ごしていた俺からすれば、大部分がいい思い出だったんだよ。争い事もなかったし、親友同士だった。だからこそ、あんなに素晴らしい音楽を残せたんだよ。それでなきゃ無理だよ。俺たちは新進気鋭の一つにまとまったバンドだった。ほとんどの期間、素晴らしかった。食い物にされたり自殺するなんて誰も予知できないよ。そんなこと考えもしてなかった。俺たちが主役だったし、ほとんどの記憶はいい思い出だよ。残された音楽がそれを語っているだろ」 
Without You book ad 1997
ジョーイさんとキャシーさん側で書いているという本に関しては? ちゃんと真実が書かれると思う? 
「どうなのかなぁ。完成するのか? わからないね。完成を願うよ。そしたら読む。たぶんこんな感じになるんじゃないかな」 
どんな感じに? 
「ジョーイ・モーランドはバッドフィンガーを結成しました。そしてすべてのヒット曲を書きました。世界的ヒット曲のウィズアウト・ユーはメンバーと共作しました。そしてすべては戯言です」 
マイクさん、2011年にもう出版されましたよ 
「えぇぇぇ~ 俺が死んでから出すなよぉ」 
Badfinger and Beyond
ヘッド・ファーストについてはどう? かなりいい出来だと思うんだけど 
「それはジョーイがいないからでしょ。彼が辞めた後の録音だから。ピート・ハムとの最後の仕事になってしまったね」 
ジョーイさんもリハーサルで参加した曲はないの? 
「ないよ。もういなくなった後だから」 
それじゃ、ヘッド・ファースト発売に関連してはジョーイさんには一銭も行かない? 
「それはない。全く無関係だから。でもバッドフィンガーの名前を使わせてくれないかもね。ジョーイのバンドのピートより長くいる人に訴えられちゃうよ(笑)」 
ヘッド・ファーストの発売計画(実際には2000年に発売)はマイクさんのアイディア? 
「ワーナーは録音後ずっと放置してきた。で、調べてみたら、彼らからは俺たちに何も支払われていないことがわかったんだ。それで発売もできそうだと感じた。ほとんどの曲のマスターテープのコピーも俺が持っていたしね。LAのレコード・プラントでのミックスはよくないけど、ロンドンでやったものは音もいいね」 
曲に関しては? 
「すごくいい曲もあるね。たとえば、レイ・ミー・ダウンは好きな曲だよ」 
 
ムーン・シャインは? 
「強制によるストレスのもとで書かれた曲だね。当時は給料も支払われておらず、当然蓄えも底をついている状態だった」 
当時、スタン・ポリーのくそったれがバッドフィンガーのお金を支配していることを知っていました? 
「当然知っていたよ。でも選択の余地はなかった。そうするしかなかったんだ」 
当時のボブ・ジャクソンさんについては? 
「マンと一緒にイングランドとウェールズをツアーしたんだけど、彼は全面的に参加したよ」 
バンドにはフィットしてた? 
「うん。違和感なかった。ボブは曲も書けるので、そのまま時が進んでいたら、第二・第三の中心メンバーになっていただろうね」 
Badfinger - Head First ad 2000
ポール・マッカートニーさんとはマジック・クリスチャン後も付き合いがあった? 
「いや、特別なことはなかった。ピートが亡くなった直後に、ロンドンのホテルで偶然ポールに会ったよ。リンダとウイングスのメンバーもいたね。ピートのことやその他いろいろ話したよ。ポールは一杯おごってくれて、背中に触れて言ったよ、What can I say? って。ポールにとってもピートのことはすごくショックみたいだった。それがポールに会った最後だよ」 
そんなこともあったんだ 
「ウイングスにドラマーの欠員があった時、申し込もうとしたけど、その時はデニー・レインの友人に決まってしまって間に合わなかったんだ」 
 
バッドフィンガー解散後の活動は? 
「ボニー・タイラーのシングル、イッツ・ア・ハートエイクに参加してるよ。それとアルバムにも。かなりヒットしたね。彼女のツアーでドイツにも行ったし」 
 
Mike Gibbins Bonnie Tyler  (Top of the Pops 1977-12-08)
それから、リグビー・リチャーズというオーストラリアのカントリー&ウエスタン・シンガーのアルバムにも。基本的にセッション・ワークだね。デビッド・ティプトンのアルバムもやったな。他にもやったけど、あまり覚えてない」 
Mike Gibbins 1978
ソロアルバムで気づいたんですけど、歌とドラムス以外に、ピアノやキーボードも演奏していますよね。それっていつものことなんですか? 
「うん、いつもそうだよ。曲を書くのはピアノの方が楽だからね」 
確かに、ドラムで作曲するよりはやさしいですよね。初めて演奏した楽器はドラム? ピアノ? 
「父がドラムキットを買ってくれたのが14歳の頃で、それが最初だね。それ以前はナイフとフォークでハードカバーの本を叩いてたんだよ。本の題名は忘れたけど」 
それで、お父さんに頼んだんですね 
「それがね、ある日学校から帰ってくると、俺の寝室にドラム一式がセッティングされてたんだ。ほのめかしてはいたんだけどね、ドラムセットが欲しいなぁ って。でも直接頼んではいなかったから、ほんとびっくりしたよ。バスドラに Gigster ってロゴが入っていたよ」 
Gigster ad
こんな感じ? 
「懐かしいな。こんな感じだったよ」 
ソロアルバムはほとんど自作曲ですが、バッドフィンガー時代はあまり書いてませんよね? それ以前の10代の頃はどうでした? 
「当時はみんな、女の子の気を引くためにバンドを始めたんだよ。ミュージシャンになるためじゃなかった。楽器を手に入れて、バンドに入る。それがその年代の楽しみなのさ」 
でもドラムを選んだってことは、何か音楽的にインスパイアされたことがあるんですか? 
「14歳の頃はビートルズの人気がすごくて、ローリング・ストーンズもそれに続こうとしていた時だね。女の子たちはみんな金切り声でビートルズを追いかけてた。 それを見てみんな、'俺もやりたい状態' 。それで同じ髪型にして同じような楽器編成にした。それが楽しい。ビジネスじゃないし。ただただ楽しかった」 
 
トッド・ラングレンさんについてはピートさんやジョーイさんとは違って好印象なんですね 
「一緒に仕事をしていて、彼は素晴らしかったよ。何をやるにも素早かった。もたもたしたところがなかったよ。彼とは馬が合った。あのアルバムの評価は、ジョージがみんな持って行っちゃったけど、実際はトッドのおかげだよ」 
トッドさんは、デイ・アフター・デイのプロデューサー名がジョージさんになっているのを知って、むかついた と言ってますね。それは偶発的? アップル内部による意向? 
「わからない。でも最近はトッドも怒ってるね。ジョージが自分だけで手柄を持って行った って」
ジェフ・エメリックさんがプロデュースした曲もジョージさんがプロデュースした曲も、全部同じようにトッドさんがやり直したのに、エメリックさんの名前は消されていて、ジョージさんはそのまま残ってるという点に意図的なものを感じる って 
「でも本当にそう思うよ。トッドが得た評価は、実際にやったことには遠く及ばない」 
Todd Rundgren
ジョージ版デイ・アフター・デイはどんな風だったの? 
「ジョージのはドラムの音なんて明らかによくなかったよ。それでトッドが録り直した。今聴くことができるデイ・アフター・デイはドラムの音がいいだろ? 最初はこんな音じゃなかったもん。ジョージのオリジナルはこれほどよくなかった。だからトッドはほとんどの部分を作り直したよ。グレートジョブだったね」 
トムさんのトッド評はどうなんだろう? 
「さぁ、どうだったかな。トミーからは聞いたことあるような、ないような。どうだったかなぁ。あ、そろそろ帰るわ」 
トムさんに会ったら聞いておいてくださいよ 
「いいよ。それじゃまたな」 
 
あ、直接トムさんを呼べばいいのかぁ 
 

 
ツイッターとかフェイスブックみたいなものだけの経験だけど、有名な人の中ではボブ・ジャクソンが桁違いに反応してくれるというか相手になってくれるというか、気遣ってくれる人。あまり有名ではない有名人だからかもしれないけど。
 
ボブが昔いたバンドのことを書いた時などよくメッセージをくれたし、バッドフィンガーUKのツアーのことを書いた時もそうだった。これまでは英文とか写真があってそれなりに通じている時だけなんだろうと思っていたけど、きょうの返信は2日前の完全日本語文へのものだった。
 
[バッドフィンガーを全部集めようと決めた、1975年3月3日。
 
これへの返信が  thanks for sharing botfinger, have a great Saturday :)
特に僕が書いた文章についての返事ってわけじゃないけど、わざわざ日本語しか書いてないものへ返信したってことは、どこかに反応したと思うんだけど。 1975年3月3日? バッドフィンガー がBadfingerの日本語だとは知っているのか? オンラインで翻訳したのか? 謎。 
 
とにかくボブ・ジャクソンは、ファンへ気を遣ってくれている人です。 
 

 
中東のバーレーンで4歳の時に知り合ったふたりのイギリス人少年。ふたりの家はお隣同士で、一緒に小学校に通った仲。家族がバーレーンにあったイギリス海軍基地の関係者だったのか? 11歳の時、ふたりの家族は同時に帰国。 ひとりはリバプールに、もうひとりはコベントリーに戻って生活。
 
帰国後ドラムスを始めたコベントリーの少年(左)は ボブ・ジャクソン(右)のバンド、インディアン・サマー のドラマーとなった。
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その後、1974年にボブがバッドフィンガーに加入。ピートの死でバッドフィンガー解散後、トムとボブが結成したドジャースに欠員が出たため、元インディアン・サマーのコベントリーの少年を加入させた。 

それ以降いくつかのバンドを経て、フォーチュンズのドラマーになっていたコベントリーの少年は、今度はフォーチュンズに欠員が出たため、ボブを加入させた。 

そして2003年暮れ、フォーチュンズのオフィシャルページに自分のブログを持っていたコベントリーの少年のもとに、1959年の帰国以降まったく連絡を取っていなかったリバプールの少年からのメールが届いた。そこにはコベントリーの少年が知らなかった驚くべき事実が書かれていた。 
 
 
1959年の帰国後、偶然にもドラムスを始めたリバプールの少年(右)は、いくつかのバンドを渡り歩き、 
トム・エバンス(左)のバンド、カルダーストーンズ のドラマーになっていたのだ。 
badge Cal
 
アイビーズにトムを引き抜かれたためカルダーストーンズが解散した後、リバプールの少年が加入した Curiosity Shoppe の Baby I Need You (Nov.1968 発売)

Curiosity Shoppe - Baby I Need You (1968)
Curiosity Shoppe
Harry Shaw(v), Billy Geeleher(d), Mick Rowley(g), Sammy Rothwell(k), Billy Hargreaves(b) 
 
この発売直前(October 25, 1968)、キャバーンで結婚前のリンダによって撮影されたポール・マッカートニーと一緒にいるバンドの写真が残っている。
http://www.meetthebeatlesforreal.com/2016/02/paul-with-owner-of-cavern-clubs.html
ドラマーになりたかったポールに自分のドラムを占領されているので、なんか気になる白シャツがリバプールの少年? 
 
 
リバプールの少年=Billy Geeleher 
コベントリーの少年=Paul Hooper 
 
ふたりは4歳の時知り合い、11歳までバーレーンで過ごし、リバプールとコベントリーにそれぞれ同時に帰国し、それぞれが後にバッドフィンガーに加入することになるトム・エバンスとボブ・ジャクソンのバンドのドラマーになった。 
 
すごい 幼なじみ。 
 
 
ポール・マッカートニーに関する バッドフィンガーの すごい 幼なじみ 2 に続きます。 
 すごい 幼なじみ 2 

 

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