バッドフィンガー通信 Badfinger

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1980年、rockin'on誌の6月号から松村雄策さんの連載 プレイバック=バッドフィンガー が始まった。 
 
松村雄策 
rockin'on 1980年 
6月号 プレイバック=バッドフィンガー 1 
7月号 プレイバック=バッドフィンガー 2 
8月号 プレイバック●ハッピー・アップル・デイズ=バッドフィンガー 3 
10月号 バッドフィンガー=ウィッシュ・ユー・ワー・ヒア - プレイバック 4 
 
それまでは立ち読みしかしてなかったので、1980年6月号が初めて買う rockin'on となった。 
読んですぐ、松村さんに手紙を送った。
 
 
rockin'on 1980年10月号の友達募集欄に、埼玉県のバッドフィンガーファンの投稿を発見。 
 
友達募集 
プレイバック=バッドフィンガーを読んで、彼らに興味を持った方がいましたら、是非お手紙ください。なるべく会ってもお話がしたいです。 
 
 
これがバッドフィンガー同好会の始まり。 
 
 
以後3年間、主に文通で情報交換。徐々にメンバーを募集して「バッドフィンガー事典」を作りたいという思いが強まり、初めての会員募集をする (掲載申し込み後の1983年12月5日、トムの自殺を知る)。  
 
rockin'on 1984年2月号 サークル・ミニコミ案内   page:49 
バッドフィンガーを好きな君! 我々の同好会に入りませんか。現在はメンバーは2人ですが少なくとも10人位にはしたいと思っています。今なら彼らのライヴ・テープをプレゼントします。 
 
rockin'on 1984年2月号 Hot News   page:55 
8年前、バッドフィンガーのピーター・ハムが自殺したことは、知る人ぞ知ってるかもしれないが、今度はトム・エバンズが首つり自殺をした。原因はさだかではないが、最近彼は、ピーター・ハムと共作した「ウィズアウト・ユー」の印税のいざこざで裁判所通いをしていたという。 
 
 
初めての会員募集が死亡ニュースと同じ号に載ってしまった。 
 
 
「バッドフィンガー事典」用の原稿は書き溜めていたが、完成がいつになるのかまったく予測できなかった。それが突然、当初の形とは違うが公開できそうになったのは1990年のこと。 

 
当初計画のCDブックレットから来日パンフレットに変更されたものの、実際の形となった。 
もともと自費で作る予定だった「バッドフィンガー事典」が、内容は未完成(時間の余裕がなく、書き溜めていた下書き原稿をほぼそのまま使用)ながら費用は一切かからず、カラーで出版できたのは奇跡だと思った。 
Badfinger 1991 Japan tour book Joey Molland
 


 
     僕が1975年3月に Badfinger を全部買おうと決めたら、その直後に Pete 死亡。 
 
     僕たちが作った バッドフィンガー同好会 が結成3周年で初めての会員募集をしたら、ほぼ同時に Tom 死亡。 
 
rockin'on 1984年2月号 サークル・ミニコミ案内   page:49 
バッドフィンガーを好きな君! 我々の同好会に入りませんか。現在はメンバーは2人ですが少なくとも10人位にはしたいと思っています。今なら彼らのライヴ・テープをプレゼントします。 
 
rockin'on 1984年2月号 Hot News   page:55 
8年前、バッドフィンガーのピーター・ハムが自殺したことは、知る人ぞ知ってるかもしれないが、今度はトム・エバンズが首つり自殺をした。原因はさだかではないが、最近彼は、ピーター・ハムと共作した「ウィズアウト・ユー」の印税のいざこざで裁判所通いをしていたという。 
 
     Mike の死亡時にも僕が何か関与していないかと考えたけど、死の3年前に Mike のサイトからCDを3枚買って おまけにTシャツをもらったこと以外、何もなかった。 20枚買っていればまだ健在だった?


バッドフィンガー Badfinger - Know One Knows 誰も知らない (WB: P-1356W) 1975-02-25 発売 
P-1356W
A面は問題ないのだが 
P-1356W Know One Knows
B面が謎 
P-1356W Just a Chance
表記とは異なり、実際に収録されている曲は これがチャンス Just a Chance 
 
1991年にワーナーのアルバムがCD化された時、バッドフィンガー同好会からワーナー洋楽部の人に直接質問した際の回答は 「当時の担当者がいないので分からないが、たぶんチェックもれ」とのことだった。 
 
予定ではB面は 素敵な君 Your So Fine のはずだったけど、チェックもれで間違って これがチャンス Just a Chance を入れてしまったのか、その逆なのか、どちらなんだろう? 

Wish You Were Here 1

LPでの収録時間 2:56は Just a Chance だから、B面曲の収録時間表示は Just a Chance のものみたいだけど、そうなると、タイトルの書き間違い? 
 
1991年当時にはまだ知らなかったことだけど、アメリカWBには Just a Chance b/w Got to Get Out of Here  のテストプレス盤(1975年2月19日発売予定日? テストプレス盤を作った日?)が1枚保管されているらしい。
 
この点を考慮して創作すると 
 
日本のみ独自に 誰も知らない Know One Knows b/w これがチャンス Just a Chance のシングル発売を企画。アメリカから許可。プレス完了直後、アメリカでのシングル予定が  Just a Chance b/w Got to Get Out of Here との情報入手。 
 
急遽B面曲を 素敵な君 Your So Fine に差し替え決定(日本での第二弾シングルも これがチャンス Just a Chance b/w もう会いたくない Got to Get Out of Here に仮決定)。レーベルとスリーブ印刷はまだだったので、原稿の曲名部分だけ変更指示し、完成。
 
盤は完成済みだったので、お偉いさんから差し替え許可降りず。そのまま発売に。 
あわてて変更指示したのでチェックもれで、収録時間表示は 元のまま。 
 
誰か、日本での第二弾シングル これがチャンス Just a Chance b/w もう会いたくない Got to Get Out of Here のスリーブを作ってください。 
 
 
 
 [謎] Badfinger - Know One Knows (1975) 

 
 [謎] Badfinger - Know One Knows b/w Just a Chance (1975) 

 

 
シーラ・ロック Sheila Rock

1995年3月、昼間にFMラジオをかけていた時、偶然ミカさんがゲストで登場。生放送で、「ミカさんに何か質問があれば直接答えてもらうのでFAXを送って」とのこと。この突然の展開に慌てました。どれくらいの長さスタジオに居るのかわからないのでできるだけ早く送らないといけないし、ニューアルバムのプロモーションみたいだったからあまりそれとかけ離れた質問でもFAXが殺到したら選ばれないだろうし などと考えながら、アルバム「素敵な君」の思い出について何かあればとFAX。
 
その時の放送は録音し、バッドフィンガー同好会へ報告。会報に載ったのがこれ(きょう見るまでまるっきり忘れていた)。 
 
1985年3月6日
素敵な君
 
ミカさんが話した内容は全然記憶に残っていない。結局FAXは僕からだけだったような気がする。録音したカセットがあるはずなので探さなくちゃ。 
 
シーラ・ロックをネット検索したら、2014年春に「パンクシーンを収めた写真集の写真展のために来日」関係のものがいっぱいあった。 
 
 
シーラ・ロック
 

 
1990年の デイ・アフター・デイ ライブ 1974 の日本盤発売と、1991年のジョーイのバッドフィンガー来日公演に関してはバッドフィンガー同好会がかなり協力していた。 
 
デイ・アフター・デイ ライブ 1974 は当初、豪華な付属品が計画されたようで、初期のFAXによる広報にはこんなことが書かれていた。 
 
MSI Day After Day
なお、このCDを日本発売するにあたり、歌詞、対訳、アルバム解説はもちろん、彼らの活動を物語風につづった「バッド・フィンガーの不思議な旅」 、それと当時の彼らのめずらしい写真を満載した豪華ブックレット「ディ・アフター・ディ」が付きます(予定)。   10月25日発売 ¥2884 (税込み) 
 
 
アルバム解説はバッドフィンガー同好会の上坂さんが担当したので、その分の予算をブックレット等に使おうとのことだったのか? これに続く翌年のジョーイ来日公演の準備とごっちゃになっていてあまりはっきりと覚えていないけど、「不思議な旅」は来日公演のパンフレットに姿を変えて発表されている(というか、CD用に書いていたものを途中でパンフレットに転用って感じ)。 これは僕が担当していた。 

 
その頃数回、松村雄策さんと電話・手紙で話したことがあった。 ピクチャーCDに使う写真、何かいいのはないかという話になって、権利関係をクリアしないと使えないのでジョーイに頼むみたいな感じになった。その後の手紙(ロッキング・オンの原稿用紙に書かれていた)で、ジョーイが古い写真を1枚提供してくれ、それを使うと知った。 写真を満載した豪華ブックレットというのも、権利の関係で計画だけに終わったのだろう。 
 
 

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