バッドフィンガー通信 Badfinger

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バッドフィンガー通信(復刻版)1号 The Badfinger Post バッドフィンガー通信 by Hiroyuki Imaizumi (March 1989 #1 - February 1992 #36) 
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1989年3月10日発行 第1号

今月の通信員は以下の20人です(到着順)

【茨城発・橘通信員】 昨年、私のリクエストした 〝ミッドナイト・コーラー〟 が萩原健太さんのミュージック・シティ(NHK-FM、木曜日)でかかりました。ファンとしてうれしい限りです。

【福岡発・香月通信員】 これからも間違いなくバッドフィンガーを聴き続けると断言します。

【宮城発・小池通信員】 アンケートにお答えします。少しはお役に立ちましたでしょうか?

【岐阜発・松野通信員】 『ウィッシュ・ユー・ワー・ヒア』 は、『ラバー・ソウル』 や早川義夫さんのソロ・アルバムと並んでとても大切なものです。「I've done it before now, it's always the same, I'm gonna have to make a new start」と心の中で歌うと、「がんばろう」とやる気が出てきます。

【千葉発・関口通信員】 『ノー・ダイス』 『ウィッシュ・ユー・ワー・ヒア』 『メイビー・トゥモロウ』 はレコードは持っていない(カセットはあるけど、アイビーズのはないのが悩みのひとつ)という、大馬鹿野郎。CDを待っていても時間が経つばかり。必死に探しても欲しいものは見つからない。ジョーイのソロを偶然見つけた時の喜びは、わかっておくれでしょう。しかし、ソロではものたりないのです。

【神奈川発・滝沢通信員】 バッドフィンガーに関しては「通」と呼べるほどの者ではないのですが、アンケートに答えさせていただきます。

【埼玉発・星野通信員】 バッドフィンガーのワーナー時代のベスト盤(LPとCD)が英国EDSELレコードから発売されました。タイトルは 『Shine On』 です。

【大阪発・有村通信員】 『エアウェイブズ』 は爽やか過ぎます。 『ナチュラル・ガス』 の方がまだバッドフィンガーらしいと思います。

【福岡発・杉田通信員】 最近、高値で音質の悪いバッドフィンガーの海賊盤が出回っているので、そのうち正規盤が出るかもしれないので買わないよう、皆に伝えてください。

【埼玉発・渡辺通信員】 ウォント! 『マジック・クリスチャン・ミュージック』 のAPナンバーのアルバム、シングル 〝ガラスの恋人〟 、東芝4曲入りプロモEP。

【山口発・玉野通信員】 やっと全LPを入手しました。満足しています。結婚したためレコードは実家の方に置いてあります。

【千葉発・原田通信員】 どうしても手に入らないレコードの録音をお願いします。

【群馬発・江口通信員】 ピートの作る曲はいいよね。後期ジョージ・ハリスンに通じるものがあると思います。

【滋賀発・村田通信員】 回答の後れたことをお詫びします。

【神奈川発・服部通信員】 バッドフィンガーはあまりにも過小評価されすぎ。今こそ正当に再評価してもらいたい。

【京都発・桜井通信員】 バッドフィンガーのレコードは、ジョン・レノンのアルバムと共に手放してしまったのですが、再び探してみたいと思うようになりました。しかし、手に入りづらいので後悔しています。

【神奈川発・河内通信員】 遅れました。間に合うかな?

【東京発・青木通信員】 アイビーズのLP 『メイビー・トゥモロウ』 の赤盤は、私の自慢の一枚です。

【京都発・中沢通信員】 バッドフィンガーのことを知ってからまだ日が浅いのですが、よろしく。

【愛知発・今泉通信員】 自分以外のバッドフィンガー・ファンは、彼らに対してどのような思いを持っているのだろうか? その回答の一部がここにあります。


1989年3月10日発行 第1号

ディスコグラフィ  シングル、EP

MAYBE TOMORROW / AND HER DADDY'S A MILLIONAIRE [ IVEYS ]   (メイビー・トゥモロウ / ダディは百万長者)

68 M イギリス APPLE  5
69 M アメリカ 1803
M 日本 AR-2198        *1    
M 西ドイツ 0 23 965
M フランス APF 505 *2
M イタリア 5 *3
M オランダ 5 *4
M スペイン H442 *5
M ポルトガル N-38-7 *6
M オーストラリア    8631

備考 : N はピクチャー・スリーブなし   X は未発売

*1 : 石畳の上に立っている4人。メイビー・トゥモロウのシート・ミュージックに使われた写真。

*2 : アップルのプロモーション・フォト。4人がポーズをとっている。

*3 : デビュー時、ニュー・ミュージカル・エキスプレス誌の宣伝広告に使われた写真。国内盤アルバム 『メイビー・トゥモロウ』 の歌詞カードにも載っている。

*4 : 2と同じ写真が、りんごの形にカットされている。

*5 : 川辺に立つ4人のカラー写真。8、10と同じフォト・セッションで撮られたもの。

*6 : 『メイビー・トゥモロウ』 の裏ジャケットの写真と同じ服装。

 

UNA SENSAZIONALE INTERVISTA DEI BEATLES + TRE DISCHI

69 M イタリア         APPLE  DPR 108        *7    

*7 : メイビー・トゥモロウ、悲しき天使、サワー・ミルク・シーの通常シングル3枚に、ビートルズのインタビュー・シングルをセットした、プロモ4枚組。

 

NO ESCAPING YOUR LOVE / DEAR ANGIE [ IVEYS ]

69   イギリス        APPLE  14                      

 

DEAR ANGIE / NO ESCAPING YOUR LOVE [ IVEYS ]   (いとしのアンジー / ノー・エスケイピング・ユア・ラヴ)

69 M 日本 APPLE  AR-2354 *8
M 西ドイツ 1C 006 90493
M フランス 2C 006 90493 *9
M オランダ 5C 006 90493 *10  
M スウェーデン     14 *10

*8 : 橋の下に座っている4人のカラー写真。5、10と同じセッションで撮られたもの。

*9 : 屋外に立っている。12の元になった写真。

*10 : 5、8と同じフォト・セッションで撮影。

 

WALL'S ICE CREAM  EP [ IVEYS + 3 by others ]

69 M イギリス        APPLE  CT-1             *11  

*11 : ビジネス用のプロモEP。このEP以外では聴けない、アイビーズの 〝Storm In A Teacup〟の他、テイラー、ロマックス、ホプキンの曲を収録。ロンの名前が RON JONES と書かれているのはアイビーズ七不思議のひとつ(他6つは募集中)。

 

COME AND GET IT / ROCK OF ALL AGES   (マジック・クリスチャンのテーマ / ロック・オブ・オール・エイジズ)

69 S イギリス APPLE  20 *12
70 S アメリカ 1815
M 日本 AR-2444 *13  
西ドイツ 1C 006 90916
M フランス 2C 006 90916 *12
M イタリア 3C 006 90916 *12
S オランダ 5C 006 90916 *12
デンマーク 20 *12
M スペイン H560 *12
M ポルトガル N-38-14 *14
S カナダ 1815
オーストラリア    9016

*12 : 9の写真を元にして、群集のように並んでいる47人のアイビーズ(ピート14人、トム13人、マイク10人、ロン10人)。

*13 : 2種類のスリーブがある。ひとつは通常のもの(=12)で、邦題 〝マジック・クリスチャンのテーマ〟 。もうひとつは映画のプロモーションのため、これにリンゴ・スターとラクエル・ウェルチの姿を重ねたもので、邦題は 〝マジック・クリスチャン〟と変更。どちらも9の写真を元にしている。ステレオ表記だが実際はモノラル収録。B面曲は、ステレオとモノラルの違いはあるが サントラ盤収録のものと同様、『マジック・クリスチャン・ミュージック』 収録のものよりフェイド・アウト部分が長く録音されている。

*14 : トムを中心に、左にピート、右にマイクの3人が枯葉の上に座っている写真。 『マジック・クリスチャン・ミュージック』 の裏ジャケの写真と同じセッションで撮影。

 

NO MATTER WHAT / CARRY ON TILL TOMORROW

70 S アメリカ        APPLE  1822              *15,N

*15 : B面曲は、テープ編集によって1分ほど短くなっている。

 

NO MATTER WHAT / BETTER DAYS   (嵐の恋 / ベター・デイズ)

70 S イギリス APPLE  31 *16
71 S 日本 AR-2701 *16
S 西ドイツ 1C 006 92064 *16
M フランス 2C 006 92064 *16
M イタリア 3C 006 92064 *16
S オランダ 5C 006 92064 *17
スウェーデン 31 *18
M ノルウェー 31 *19
S デンマーク 31 *20
M スペイン H662 *16
M ポルトガル N-38-21 *16
ギリシャ 31 *21,N
オーストラリア    9316

*16 : 『ノー・ダイス』 のジャケットと同じ写真。

*17 : 写真はなく、緑地に黒でタイトルのみ書かれている。

*18 : ゴルダーズ・グリーンのバックヤードでのプロモ・ショット。

*19 : 4人の姿がツートーンで撮られている。

*20 : 『ノー・ダイス』 の内側ジャケットと同じ写真。

*21 : 緑に赤と青の渦巻きのマルチカラー・レコード。

 

BELIEVE ME / BLODWYN

       西ドイツ        APPLE                           

 

NAME OF THE GAME / SUITCASE

       アメリカ APPLE  1833             *22,X
    イギリス          35              *22,X

*22 : レコード番号まで決まりながら、最終的にはフィル・スペクターによって却下された。

 

I'D DIE BABE / TAKE IT ALL

       南アフリカ          APPLE  35J                 

 

MAYBE TOMORROW / AND HER DADDY'S A MILLIONAIRE   (明日を求めて / ダディは百万長者)

71 SM 日本         APPLE  AR-2899        *23  

*23 : 再発盤。ただしバッドフィンガー名義で、『マジック・クリスチャン・ミュージック』 に収録のもの(裏面曲は以前と同じもので、モノラル収録)。国内盤 『アス』 のライナー・ノーツでも見られるこの写真は、26、31と同じセッションでの撮影。このスリーブは海賊盤 『At The Beeb '72/'73』 の裏ジャケットにそのままの形で使用された。

 

DAY AFTER DAY / MONEY

71 S アメリカ        APPLE  1841                 

 

DAY AFTER DAY / SWEET TUESDAY MORNING   (デイ・アフター・デイ / スウィート・チューズデイ・モーニング)

72 S イギリス APPLE  40  *24
  S 日本 AR-2953 *25
S 西ドイツ 1C 006 93159 *26 
M フランス 2C 006 93159 *24
S イタリア 3C 006 93159 *24
スウェーデン 4E 006 93159  *24
S ノルウェー 7E 006 93159 *24
S デンマーク 40  *24
S スペイン HS789 *24
M ポルトガル N-38-27 *24
オーストラリア    9782 
S フィリピン  032 

*24 : 4人の周囲を楕円形にぼかした写真。『ストレート・アップ』 発表時にイギリスで作られたバイオグラフィの表紙にも使われたもので、国内盤 『アス』 の帯でも見られる。

*25 : 4人が芝生の上に立っているカラー写真。27、32と同じフォト・セッションで撮影。

*26 : 23、31と同様、フォト・スタジオで撮影。衝立にもたれている4人。

 

BABY BLUE / FLYING   (ベイビー・ブルー / フライン)

72 S アメリカ APPLE  1844 *24
    イギリス   42  X 
  S 日本 EAR-10046 *27
S 西ドイツ 1C 006 93391 *28 
S  フランス 2C 006 93391 *29
S イタリア 3C 006 93391 *28
スウェーデン 4E 006 93391  *28
S デンマーク 1844  *30
S カナダ 1844
オーストラリア    9888 
S 南アフリカ  42J 

*27 : 小さなカラー写真が使われている。25、32と同じフォト・セッションで撮影。

*28 : 『ストレート・アップ』 のジャケットと同じもの。

*29 : プロモ・ショット。国内盤 『アス』 のライナーでも見られる。背景は波形の模様。

*30 : 『ストレート・アップ』 の楽譜集に使われた各個人別の写真が、アレンジされている。国内盤 『アス』 でも見られるもの。

 

EP

シンガポール POP SK 2039 *16
71   アルゼンチン  APPLE  3045  *20
72 アルゼンチン 3049 *31
    メキシコ    ?  *30
  オーストラリア   APEP 3002    *32 
  ニュージーランド APEP 3002  *32
S 日本 3ERS-325 *33
タイ    ? 683   *26
    タイ    ? P 103 *31

*31 : 23、26と同様、フォト・スタジオで撮影。後に 『Live In Vancouver』 のジャケットにも使われた。

*32 : EP 「4 SMASH HITS」 。カラー。25、27と同じフォト・セッションで撮影。

*33 : 『ストレート・アップ』 の4人の顔の部分をまとめて、りんごの形にしたもの。プロモーション用の非売品で、〝ウィズアウト・ユー〟〝嵐の恋〟〝デイ・アフター・デイ〟〝明日の風〟の4曲を収録。

 

CARRY ON TILL TOMORROW / WITHOUT YOU   (明日の風 / ウィザウト・ユー)

72 日本        APPLE  EAR-10151     *34 

*34 : 元になった写真の31は、国内盤 『アス』 のライナー・ノーツの表紙でも見られ、海賊盤 『Live In Vancouver』 のジャケットにも使用された。

 

LOVE IS EASY / MY HEART GOES OUT

73 イギリス    WB  K 16323          
  S 西ドイツ         WB 16323      *35 

*35 : カラー写真。38、39と同じセッションで撮られたもの。A面曲はLP収録のものよりフェイド・アウト部分が20秒ほど長く録音されている。

 

APPLE OF MY EYE / APPLE OF MY EYE

73 MS アメリカ      APPLE  P-1864        *36,N

*36 : プロモーション盤。AM/FM局用に、モノ/ステレオで収録されている。

 

APPLE OF MY EYE / BLIND OWL

73 S  アメリカ APPLE  1864
74 S イギリス 49  N 
S イタリア 3C 006 95190 *37 
S  オランダ         5C 006 95190 *24

*37 : 『アス』 の裏ジャケットの写真が使われている。

 

APPLE OF MY EYE / COWBOY   (なつかしのアップル / カウボーイ)

74 日本             APPLE  EAR-10547     *37 

 

I MISS YOU / I MISS YOU

74 SM アメリカ           WB  7801            *36,N

 

I MISS YOU / SHINE ON   (涙の旅路 / シャイン・オン)

74 アメリカ                 WB  7801            
  S  日本          P-1312W       *38 

*38 : 4人のカラー写真。35、39と同じフォト・セッションで撮影。

 

KNOW ONE KNOWS / YOUR SO FINE   (誰も知らない / 素敵な君)

75 日本            WB  P-1356W       *39 

*39 : 白黒。35、38と同じセッションで撮影。B面曲はジャケット、レーベル共に〝ユア・ソー・ファイン〟と表示されているが、実際には〝ジャスト・ア・チャンス〟が収録されている。バッドフィンガー七不思議のひとつに認定済み。エレクトラ・レーベル盤も存在する(七不思議のひとつ。他の5つは現在募集中です)。

 

LOST INSIDE YOUR LOVE / COME DOWN HARD   (美しき愛のゆくえ / カム・ダウン・ハード)

79 アメリカ           ELEKTRA  E-46022     
  S イギリス   K 12345  N 
  S 日本 P-452E  *40 

*40 : 『エアウェイブズ』 のインナー・スリーブ(国内盤では歌詞カード)の写真。

 

LOVE IS GONNA COME AT LAST / SAIL AWAY   (ガラスの恋人 / セイル・アウェイ)

79 アメリカ           ELEKTRA  E-46025     
  S イギリス   K 12369  N 
  S 日本 P-397E  *41 

*41 : 『エアウェイブズ』 のジャケットと同じ。カラー。

 

HOLD ON / PASSIN' TIME

81 アメリカ               RADIO  RR 3793       N  
  S カナダ   RR 424X  N 

 

I GOT YOU / ROCK N' ROLL CONTRACT

81 アメリカ               RADIO  RR 3815       N  
  S カナダ   RR 425X  N 

 

BECAUSE I LOVE YOU / TOO HUNG UP ON YOU

81 アメリカ               RADIO  RR 3833       N  

 


1989年3月10日発行 第1号

最新レコード情報

【埼玉発・星野通信員/福岡発・香月通信員】 英国の EDSELレコードから出た 『Shine On』 はお勧めです。

SHINE ON / BADFINGER   LP : ED 302  CD : ED CD 302

1面 I Miss You

   Shine On

   Love Is Easy

   Song For A Lost Friend

   Why Don’t We Talk

   Island

   Lonely You

2面 Andy Norris

   In The Meantime ~ Some Other Time

   Just A Chance

   Know One Knows

   Dennis

LP版は1500~2000円、CD版は2500円前後で売られているようです。


1989年3月10日発行 第1号

1974年11月、日本公演が行われたとしたら、オープニングやアンコール曲は?

【茨城・橘】 オープニングは 〝ラブ・ミー・ドゥ〟   アンコールは 〝ネイム・オブ・ザ・ゲイム〟

【福岡・香月】 〝ベター・デイズ〟 か 〝ジャスト・ア・チャンス〟 でスタートし、アンコールは 〝アイ・キャント・テイク・イット〟

【宮城・小池】 ちょっと想像できないですね。

【岐阜・松野】 オープニングは 〝ジャスト・ア・チャンス〟   アンコールはわかりません。

【千葉・関口】 オープニングは 〝誰も知らない〟   アンコールは 〝デイ・アフター・デイ〟

【神奈川・滝沢】 1曲目は 〝ベイビー・ブルー〟 (現実的に考えれば 〝デイ・アフター・デイ〟 あたりかな)   アンコールは 〝ウィズアウト・ユー〟 〝嵐の恋〟 〝アンディ・ノリス〟 の中から2曲ぐらい。

【埼玉・星野】 〝嵐の恋〟 で始まり、 〝ウィズアウト・ユー〟 で締め、アンコールは 〝デイ・アフター・デイ〟

【大阪・有村】 1曲目は 〝アイ・キャント・テイク・イット〟  オープニングで総立ち。   アンコールは 〝ウィズアウト・ユー〟  あたりまえ過ぎるけど聴きたい。まあ、クリーブランドのラインアップを見てもこんな選曲はあり得ませんが、ミーハーの多い日本のことですし、単なる希望的観測ですね。

【福岡・杉田】 その当時のバッドフィンガーがどんな曲をレパートリーにしていたのか知りませんが、オープニングは 〝デイ・アフター・デイ〟   エンディングは 〝ウィズアウト・ユー〟   アンコールは 〝嵐の恋〟 というのはどうでしょう。

【埼玉・渡辺】 1曲目は 〝ベイビー・ブルー〟   アンコールは 〝カム・アンド・ゲット・イット〟

【山口・玉野】 1曲目は 〝ベイビー・ブルー〟 にしておきます。アンコールは絶対に 〝嵐の恋〟

【千葉・原田】 オープニングは 〝ゲット・アウェイ〟   アンコールは 〝ウィズアウト・ユー〟

【群馬・江口】 オープニングは 〝ジャスト・ア・チャンス〟   アンコールは 〝誰も知らない〟

【滋賀・村田】 オープニングは 〝ジャスト・ア・チャンス〟   アンコールは 〝アンディ・ノリス〟

【神奈川・服部】 オープニングは 〝シャイン・オン〟 でしょう。アンコールはやはり大ヒットした、ちょっと昔のあの曲で決めるでしょう。しかもピートのみならず、トムやジョーイも歌ってハモれるあの曲 〝嵐の恋〟

【京都・桜井】 〝嵐の恋〟 で軽快に始まり   〝ロック・オブ・オール・エイジス〟 を長めに演奏して、歓声の中で終わるというのはどうでしょうか。

【愛知・今泉】 1曲目 〝ベイビー・ブルー〟 アンコールは 〝誰も知らない〟 誰も知らない、誰も知らない、なんて素晴らしいんでしょう、あなたが輝いているとき と、一番の日本通のジョーイがつぶやく(または特別出演のミカさん)。そして最後に 〝嵐の恋〟 の大合唱。


 以上の回答をまとめると、1974年11月のバッドフィンガー日本公演は、

オープニングで 〝ベイビー・ブルー〟 と 〝ジャスト・ア・チャンス〟 を続けて演奏。そしてお馴染みのヒット曲や新曲を交え、エンディングはもちろん 〝ウィズアウト・ユー〟。歓声と拍手が鳴り止まず、再び登場した5人(この時点ではジョーイはまだ脱退前で、さらにキーボードのボブ・ジャクソンもいた!)は、アンコールに応え、 〝嵐の恋〟 で締めくくったのでした。


1989年3月10日発行 第1号

私ならあの曲をシングル・カットしたのになぁ という曲は?

【茨城・橘】 〝マイ・ハート・ゴーズ・アウト〟 〝デニス〟 〝ミッドナイト・コーラー〟 〝ロンリー・ユー〟 〝アイド・ダイ・ベイブ〟 〝アンディ・ノリス〟 〝ラブ・ミー・ドゥ〟 〝ウォーク・アウト・イン・ザ・レイン〟 こんなところです。

【福岡・香月】 〝アイ・キャント・テイク・イット〟 〝ミッドナイト・サン〟 〝テイク・イット・オール〟 〝ユア・ソー・ファイン〟 〝ゲット・アウェイ〟 〝ロンリー・ユー〟 〝アンディ・ノリス〟 〝シャイン・オン〟 〝ウィズアウト・ユー〟  この質問は難しい。みんなカットしてもいい。

【宮城・小池】 〝アンディ・ノリス〟 や 〝誰も知らない〟 がまず頭に浮かびますね。

【岐阜・松野】 『バッドフィンガー』 の中の、〝マイ・ハート・ゴーズ・アウト〟 と 〝ギブ・イット・アップ〟 を除く全曲。この2曲はひとりで大切に聴きたいということから外しました。

【千葉・関口】 〝ミッドナイト・コーラー〟 〝Crocadillo〟
困ってしまう。シングルは今まで出ていたものでいいと思う。私としてはB面にこの曲を! というのをよく考える。

【神奈川・滝沢】 〝シャイン・オン〟 〝ウィズアウト・ユー〟 〝ジャスト・ア・チャンス〟 〝ラブ・タイム〟 〝アイシクルズ〟(この2曲かなり地味) 〝アイ・キャント・テイク・イット〟 地味だけど、〝マイ・ハート・ゴーズ・アウト〟 〝スウィート・チューズデイ・モーニング〟 〝ウィアー・フォー・ザ・ダーク〟 なども。

【埼玉・星野】 〝ウィアー・フォー・ザ・ダーク〟 〝ネイム・オブ・ザ・ゲイム〟

【大阪・有村】 A面 : 〝アイ・キャント・テイク・イット〟  一般受けすると思う。大好き。
B面 : 〝 Vampire Wedding〟  未発表曲でシングルを売ろう。いかにもB面っぽい感じ。

【福岡・杉田】 〝ウィズアウト・ユー〟 〝ラブ・タイム〟 他   やはり 〝ウィズアウト・ユー〟 でしょう。この曲があるから彼らのファンだといえるから。でもあまりシングルって好きじゃない。アルバムが良ければいいのだ。 〝マッテッド・スパム〟 はバッドフィンガーらしくないし、 〝デニス〟 はシングル向きではないと思います。

【埼玉・渡辺】 〝ミッドナイト・サン〟 〝アイ・キャント・テイク・イット〟 〝ミッドナイト・コーラー〟 〝ネイム・オブ・ザ・ゲイム〟 〝サムタイムズ〟 〝ロンリー・ユー〟 〝アンディ・ノリス〟

【山口・玉野】 〝ネイム・オブ・ザ・ゲイム〟

【千葉・原田】 〝アイム・イン・ラブ〟

【群馬・江口】 〝ミッドナイト・コーラー〟   売れないと思うけど、いい曲です。

【滋賀・村田】 〝ロンリー・ユー〟 〝ウィアー・フォー・ザ・ダーク〟 〝アンディ・ノリス〟

【神奈川・服部】 バッドフィンガーはアルバム・アーティストという気がするので、まったくの未発売曲として 〝Baby Please〟 や 〝Sing for the Song〟 が良いのでは?

【神奈川・河内】 〝ロンリー・ユー〟  青春の甘酸っぱさ、そして希望。彼らの中で最も美しく、やさしさあふれる曲だと思う。

【京都・中沢】 〝ロンリー・ユー〟 〝アンディ・ノリス〟

【愛知・今泉】 AB面セットで考えました。
〝ビューティフル・アンド・ブルー〟 (裏に 〝サリー・ブルー〟)
〝ミッドナイト・コーラー〟 (裏に 〝ビリーブ・ミー〟)
〝アイ・キャン・ラブ・ユー〟 (裏に 〝ブラインド・アウル〟)
〝シャイン・オン〟 (裏に 〝アイ・ミス・ユー〟)
〝ホエア・ドゥ・ウイ・ゴー・フロム・ヒア〟 (裏に 〝マイ・ハート・ゴーズ・アウト〟)
〝ロンリー・ユー〟 (裏に 〝ギブ・イット・アップ〟)
〝デニス〟 (裏に 〝ユア・ソー・ファイン〟)


 回答者18名中、複数の人に選ばれた、幻のシングル・カット曲は

  • 8人 ロンリー・ユー 
  • 7人 アンディ・ノリス
  • 6人 ミッドナイト・コーラー
  • 5人 シャイン・オン
  • 4人 アイ・キャント・テイク・イット
  • 3人 ウィズアウト・ユー / ウィアー・フォー・ザ・ダーク / ネイム・オブ・ザ・ゲイム
  • 2人 ミッドナイト・サン / ホエア・ドゥ・ウイ・ゴー・フロム・ヒア / マイ・ハート・ゴーズ・アウト / デニス / ラブ・タイム

1989年3月10日発行 第1号

『マジック・クリスチャン・ミュージック』 の中で好きな曲は?

【茨城・橘】 1位〝明日の風〟 2位〝アンジェリーク〟 3位〝ウォーク・アウト・イン・ザ・レイン〟

【福岡・香月】 1位〝クリムゾン・シップ〟 2位〝ミッドナイト・サン〟 3位〝ロック・オブ・オール・エイジス〟   このアルバムからのシングル曲はあまり好みではないので、こうなりました。

【宮城・小池】 順位はなく 〝カム・アンド・ゲット・イット〟 〝ミッドナイト・サン〟 〝ビューティフル・アンド・ブルー〟 〝ロック・オブ・オール・エイジス〟 〝メイビー・トゥモロウ〟 が好きな曲です。

【岐阜・松野】 1位〝ビューティフル・アンド・ブルー〟 2位〝明日の風〟 3位〝ディア・アンジー〟

【千葉・関口】 1位〝ディア・アンジー〟 2位〝ウォーク・アウト・イン・ザ・レイン〟  3位〝明日の風〟 4位〝ノッキング・ダウン・アワ・ホーム〟 5位〝クリムゾン・シップ〟 以下〝カム・アンド・ゲット・イット〟 〝アイム・イン・ラブ〟 〝フィッシャマン〟 〝メイビー・トゥモロウ〟 〝ミッドナイト・サン〟   1位だけ決まっている。2~4位は日によって変わる。5位以下は差がほとんどない。

【神奈川・滝沢】 1位〝メイビー・トゥモロウ〟 2位〝クリムゾン・シップ〟 3位〝アイム・イン・ラブ〟   除外 : 〝ギブ・イット・ア・トライ〟 は、聴いたことがないので除外してあります。

【埼玉・星野】 1位〝明日の風〟 2位〝ビューティフル・アンド・ブルー〟 3位〝ノッキング・ダウン・アワ・ホーム〟

【大阪・有村】 1位〝ノッキング・ダウン・アワ・ホーム〟 : 心が和みます。   2位〝メイビー・トゥモロウ〟 : 初々しい。   3位〝明日の風〟 : 暗いけどいい。

【福岡・杉田】 1位〝明日の風〟 2位〝ウォーク・アウト・イン・ザ・レイン〟 3位〝ビューティフル・アンド・ブルー〟

【埼玉・渡辺】 1位〝ミッドナイト・サン〟 2位〝ウォーク・アウト・イン・ザ・レイン〟 3位〝ビューティフル・アンド・ブルー〟

【山口・玉野】 1位〝カム・アンド・ゲット・イット〟 2位〝明日の風〟 3位〝ミッドナイト・サン〟

【千葉・原田】 1位〝明日の風〟 2位〝メイビー・トゥモロウ〟 3位〝ロック・オブ・オール・エイジス〟

【群馬・江口】 1位〝明日の風〟 2位〝ウォーク・アウト・イン・ザ・レイン〟 3位〝ノッキング・ダウン・アワ・ホーム〟   このアルバムは、なんとなくビートルズの 『ホワイト・アルバム』 に似て、バラバラさとひとつひとつの輝きがあるような気がします。

【滋賀・村田】 1位〝明日の風〟 2位〝メイビー・トゥモロウ〟 3位〝ビューティフル・アンド・ブルー〟

【神奈川・服部】 順位関係なく、  〝クリムゾン・シップ〟 : この曲ですべてが決まりました。以後はひたすらバッドフィンガーに狂います。   〝フィッシャマン〟 : 『メイビー・トゥモロウ』 に収録の方は凝りすぎ。このトムのボーカルが好きです。   〝ギブ・イット・ア・トライ〟 : 若さムンムン。不安定なソロ・ボーカルとバック・コーラス。初々しい。

【京都・桜井】 1位〝ビューティフル・アンド・ブルー〟 2位〝メイビー・トゥモロウ〟 3位〝ロック・オブ・オール・エイジス〟 4位〝明日の風〟 5位〝アイム・イン・ラブ〟

【東京・青木】 1位〝明日の風〟 2位〝ロック・オブ・オール・エイジス〟 3位〝カム・アンド・ゲット・イット〟

【愛知・今泉】 1位〝明日の風〟 2位〝ビューティフル・アンド・ブルー〟 3位〝ディア・アンジー〟 4位〝クリムゾン・シップ〟 5位〝メイビー・トゥモロウ〟 6位〝ギブ・イット・ア・トライ〟


 ということで、集計結果は以下の通りです。

1位 480点 明日の風 1位8人 2位2人 3位2人他
2位 274点 ビューティフル・アンド・ブルー 1位2人 2位2人 3位4人
3位 238点 メイビー・トゥモロウ 1位1人 2位4人 3位1人他
4位 184点 ウォーク・アウト・イン・ザ・レイン 2位4人 3位1人 9位1人
5位 181点 クリムゾン・シップ 1位1人 2位2人 4位1人他
6位 179点 ミッドナイト・サン 1位1人 2位1人 3位2人他
7位 157点 ロック・オブ・オール・エイジス 2位1人 3位4人 11位1人
8位 154点 カム・アンド・ゲット・イット 1位1人 3位2人 6位1人他
9位 152点 ノッキング・ダウン・アワ・ホーム 1位1人 3位2人 4位1人他
10位 147点 ディア・アンジー 1位1人 3位2人   -
11位  87点 フィッシャマン 2位1人 7位1人 8位1人
12位  86点 ギブ・イット・ア・トライ 2位1人 6位1人   -
13位  75点 アンジェリーク 2位2人 12位1人   -
14位  65点 アイム・イン・ラブ 3位1人 5位1人 7位1人他


1989年3月10日発行 第1号

明日の風

トム、ピート作詞 ・ 大橋通信員訳

 

若かった頃 自分に言いきかせたのさ

僕の人生は僕自身が作っていくのだ

太陽の当らぬ所には居まいと

だって 待っているには短い人生

だから 太陽が昇ったらまた歩きだす

明日まで歩き続けよう

振り返りはしないさ

 

翳る雲のかなた

虹の立ち昇る場所まで 歩き続けよう

だって 待っているには短い人生

だから 太陽が昇ったらまた歩きだす

明日まで歩き続けよう

振り返りはしないさ

 

自由の風に揺られ

暗雲の日々に別れを告げる

そして 僕らは

明日の約束の地をめざす

待っていれば 人生など終わってしまう

だから 日の出とともに僕は歩きだす

 

そして 辛く長い旅が終わったら

この 僕だけの世界で

疲れた身体を横たえよう

待っているには短すぎる人生

沈む夕日を目にして 僕はまた思う

 

明日までは何とかやっていこう

振り返る理由など

どこにもないのだから

 

 

クリムゾン・シップ

トム、ピート作詞 ・ 大橋通信員訳

 

生きていくのが ちょっとばかり嫌になってた時

あいつはやって来たのさ どこからか 歌と共にね

あいつは冗談を言って 僕を笑わせてくれたのさ

でも 教えておくれ 何がいけなかったのかを

 

* あいつは 空の果てまで連れてってくれた クリムゾン・シップに乗せて

あいつは ナンバーを残さなかったけど

あいつは 空の果てまで連れてってくれた クリムゾン・シップに乗せて

僕はまた ひとり残されて 想うのさ *

 

丘の十字架を手入れしてたのは 誰なの?

どうして あの老人は両手を見つめてるの?

いったい誰が あんなに大きな花を育てたの?

そして トランペットが 島中に鳴り響いてたのさ

 

* Repeat

 

みんなは 月にキスを投げてたけど

息子を亡くした 親父さんもいたのさ

だけどいつかまた その子にも逢えるよ

時はどんどん流れていくけど

みんな頑張ってたのさ

 

* Repeat





バッドフィンガー通信26号 1991-04-01

1991年3月1日発行 第25号

2月12日 大阪 アムホール ライブ 

【越智通信員】 会場の右端後ろで、じっくり聴いていました。ジョーイのオープニングでの言葉「マイ・フレンズ」にはジーンときました。〝アイ・ドント・マインド〟で始まったのは意外でしたが、〝ウィズアウト・ユー〝ザ・ドリーマー〝スウィート・チューズデイ・モーニング〟でじっくり聴かせてくれ、〝ベイビー・ブルー〟〝デイ・アフター・デイ〟〝嵐の恋〟もバッチリ決めてくれました。関西独特のノリに、ジョーイもちょっとナーバスになっていたようですが、アンコールも3回(最後の〝アイ・ガット・ユー〟はオマケ)と、よく頑張ってくれて、ひと安心です。観客のノリが少々鈍かったのには驚きました。なぜこんなにおとなしくジョーイのライブを見れるのだろうか?  アンコールの〝ドリームズ・オブ・サンダーあたりではスタンドアップして欲しかったなぁ。関西では、まだバッドフィンガーのライブを楽しめるほどの流れが起きていないのだろうか? 

 午後7時に始まり、結局9時頃まで続いたライブでしたが、ジョーイには「お疲れさま」と言いたい。夏頃にもう一度来日すると言っていましたが、ぜひ実現してもらいたいですね。その時はマイクも連れてきてほしい。そろそろレコーディングに入る予定のジョーイのソロもライコから出るらしいですし、やっと巡ってきた運をジョーイにはつかんでもらいたい。そして何より、良いスタッフに恵まれてほしい。家に着いたのが午後11時半。久々にビールの美味い日になった。




2月13日 名古屋 ボトムライン ライブ 

【福井通信員】 今、バッドフィンガーのライブを見終えて、複雑な気持ちがしています。というのも、名古屋という土地柄のせいかもしれませんが、あまりノリのいいコンサートではありませんでした。観客の入りは6~7割程度。演奏中も比較的静かで、淡々とステージが進んでいくという感じでした。もともと、バッドフィンガー来日を手放しで歓んでいる心とは裏腹に、どこか心の片隅に「果たしてバッドフィンガーの曲を知っている人が、どれほど来るのだろうか?」という危惧がありました。そして、その恐れが現実になったという気がします。ミーハーなファン心理から一歩退いて、評論家的な冷静な目で見つめてみれば、あのような情景は十分予想できたことかもしれません。でも、僕自身そこまで冷静にはなりたくありませんし、訳知り顔にジョーイの悪口を言いたくもありません。なんだかんだ言っても、やはりバッドフィンガーの曲を演奏してくれた時は心が躍りました。とりわけ〝ベイビー・ブルー〟と〝デイ・アフター・デイ〟は、昔ながらのバッドフィンガー節が聴けて、本当に感動しました。また、〝嵐の恋〟はボーカルがA.J.ニコラスだったのは少々残念でしたが、あのジョーイのギター・リフがバッチリ聴けて、レコードではわからなかったリフのメロディラインが鮮明に聴き取れました。それに関連して、一言。ジョーイはあまり声が出ていなくて、高音部分はすべてA.J.ニコラスが歌っていました。そもそもジョーイの声域はテナーではないので、トムがボーカルをとっていた曲は基本的には歌えないと思います。今回のステージでも、〝カム・アンド・ゲット・イット〟が演奏されただけで、しかもトムのパートはニコラスです。しかしニコラスの声質はトムに比べるとやや太くて硬質な感じがします。バッドフィンガーのコーラスで、あのトムのなんとなく弱々しいけれども艶っぽいところが好きだという人も、僕を含めて多いと思います。仕方のないことですが、コーラスの力不足はいやがうえにも目立ってしまいました。もうひとつだけ残念だったことを挙げます。それは、ピアノがなかったことです。選曲も意識的にギター曲を中心にしていたのでしょうが、それでも〝カム・アンド・ゲット・イット〟と〝ザ・ドリーマー〟はピアノのイントロで始まってもらいたいものでした。選曲に関しては、〝ラブ・イズ・ゴナ・カム・アト・ラスト〟を演ってくれなかったのが残念でなりませんが、ジョーイ中心ということを考えれば無難な選曲といったところでしょう。ファンならば十分に歓べると思います。

 ところで、僕が複雑な気持ちになった理由がもうひとつあります。それはアンコールに一回(〝バンパイア・ウェディング〟と〝ノー・モア〟のメドレーだけしか応えなかったことです。時間的にはもう一曲ぐらい可能(7時15分に始まり、まだ8時20分)だったので、まず間違いなく再アンコールに応ずるものと思い、一所懸命に手を叩いていたのですが、ついに彼らは姿を見せませんでした。確かにそれまでの観客のノリの悪さは相当なもので、演奏したくなくなったのかもしれませんが、それでも最後まで拍手を送っていた数少ない(僕を含めて十数人程度)ファンのためにも、あそこは演奏すべきだったと、今でも思っています。ジョーイに恨みつらみを言う気は毛頭ありませんし、むしろ彼らをアンコールに応える気にさせられなかったことをたいへん残念に思います。一番恐れるのは、彼が「やはり日本になんか来るんじゃなかった」という気持ちを抱いて帰国することです。僕は見られませんでしたが、10時からの日本での最終ステージが大盛り上がり大会になったことを期待します。 

 ☆ジョーイが使用したギターは、レスポール・ジュニアっぽいギブソンのギター。シングル・カットアウェイ、ナチュラルに黒のピックガード。1曲目の途中で1弦が切れ(ラストの曲でも後半で3弦が切れたが、ソロパートがなかったので切れたまま演奏)、その後5曲目まではスペアのフェンダー・ストラトキャスター(黒)で演奏。




【星野通信員】 名古屋でのライブは、リハーサルを含めすべて録画されたとのこと。このテープはマネージャーが持ち帰ったそうです。名古屋でのステージ終了後、プロモーション・フィルムも撮ったとのこと。



 
バッドフィンガー通信25号 1991-03-01 p3
2月11日 東京18:00 の10曲目 Mean Jemima は記載ミスで、演奏されていません。 
 
 
 
 [通信25号] ジョーイ・モーランド / トーク・ライブ (渋谷HMV 1991年2月9日) 

 [通信25号] バッドフィンガー / 東京 クラブ・クアトロ (1991年2月10,11日) 

 [通信30号] バッドフィンガー / 来日ライブ・レポート (1991年) 
 
 1991年 ジョーイ・モーランド来日直前インタビュー 

 


バッドフィンガー通信25号 1991-03-01

1991年3月1日発行 第25号


来日に関する記事 

【中日新聞 1991年1月23日】

 ビートルズの弟分バンドとして70年代初頭デビュー。哀愁を帯びた美しいメロディと優しく暖かいコーラス、そして耳ざわりのいいポップなサウンド。その名バンドが、亡きピートとトムの意志を受け復活。2月13日名古屋ボトムラインでのチケットを2名様にプレゼント。永遠のポップスに乞うご期待。


【プレイヤー 1991年2月号】

 90年代の今頃、バッドフィンガー初来日と聞いて驚かない人はいないだろう。現在、彼らのアルバムのほとんどが廃盤で、一部コレクターを中心に何万という高値で取り引きされている状態だ。そんな幻のバンド、バッドフィンガーを簡単に紹介しよう。

 1965年にピート・ハム、マイク・ギビンズを中心に結成されたアイビーズを前身バンドにスタートした彼らは、トム・エバンス加入後の68年にビートルズのマネージャーに認められ、ビートルズが設立したアップル・レコードと契約、シングル〝Maybe Tomorrow〟でデビューした。ジョーイ・モーランド加入後バッドフィンガーと改名し、リンゴ・スター主演の映画「マジック・クリスチャン」の主題歌〝Come And Get It〟(ポール・マッカートニー作)、〝No Matter What〟、〝Without You〟など多くのヒット曲を生み出して一躍人気バンドとなるが、73年にワーナーに移籍後、低迷状態が続き、とうとう75年4月、ピートの首つり自殺というショッキングな結末をもって、バンドは解散してしまうのである。その後の再結成も、83年に今度はトムが自殺し、決定的な終わりを告げることになった。しかし彼らのビートルズに匹敵するような美しいメロディとハーモニーの熱心な支援者は後を断たず、ここ数年の間に編集盤が各種リリースされているのに次いで、日本でもようやく 『デイ・アフター・デイ』 という74年のライブ盤が発売されることになった。初期アップル時代の名曲の数々を聴くことはいまだに容易なことではないが、ピートのソングライティングの素晴らしさは、ワーナー時代の作品でも十分に感じ取ることができる。それになんと言っても、2月の初来日公演でジョーイとマイクの生き残り組がしっかりと彼らの歴史を裏付けてくれることだろう。

〔渡辺まり〕



【FMステーション 1991年 3号】

 解散後15年以上を経た現在も、一部ロック・ファンの間で熱狂的な人気を誇っているバッドフィンガー。その彼らの初来日公演が、なんとこの2月に決定した。バッドフィンガーはビートルズが設立したアップル・レコードから1969年にデビュー。ビートルズの弟分として人気を集めたが、リーダーのピート・ハムの自殺が引き金となって、75年に解散。その後再結成したが、今度はトム・エバンスの自殺によって再び解散した。が、近年はジョーイ・モーランドがバンドを復活させ、ビートルズ関係のイベントなどで演奏活動をしていたとか。今回の初来日公演も、当時のメンバーはジョーイただひとりである。なお、来日に合わせて、彼らの全盛期の貴重なステージを収録した 『デイ・アフター・デイ』 が、2月25日にリリースされる。
Day After Day Live 74 fax
Badfinger 1991 HMV flyer
 
 


1991年3月1日発行 第25号



2月10日 東京 クラブ・クアトロ ライブ 

【橘通信員】 5時に入場。タバコをふかしビールを飲んで待つ。私の隣に座っていたのは松村さんでした。当然、一言も会話はなかったのですが、開演までの時間、ロッキング・オン誌のジョーイのインタビュー記事はとっても良かったとか、バッドフィンガーのアルバムが全部CD化されればいいのになぁとか、彼に聞こえるように大声で周りの人たちと喋り捲っていました。実はこの席、リザーブのパネルが置いてありましたが、ひっくり返して何気なく座り込んだのでした。音響効果は最高でした。

 そして5時50分頃、メンバー登場。ドラムスの音出しが「これがライブだ!」と言わんばかりの大迫力。気持ちが高まる。オープニングは意外や意外〝アイ・ドント・マインド〟。ジョーイのボーカルも素晴らしく、バックもグレート! 後はもう盛り上がりっぱなし。〝デイ・アフター・デイ〟〝ベイビー・ブルー〟〝嵐の恋〟 〝アイ・ガット・ユー〟〝スーツケース〟〝バンパイア・ウェディング〟などなど、好きな曲の連発。〝ゲット・アウェイ〟はアルバムのバージョンを軽く凌ぐ出来映えで、ライブは凄い。大好きな〝アンディ・ノリス〟など、カッコいいったらありゃしないし、〝スウィート・チューズデイ・モーニング〟も良かったな。〝ミーン・ジェミマ〟はテープで聴いていたのと大違い。凄まじいドライビング・ロックでした。でも一番感動したのは〝ミッドナイト・サン〟。ピートの曲作りの素晴らしさに改めて感動。

 第一部しか行けませんでしたが、今までに見たコンサートの中で一番感動しました。ジョーイにはまた来日してもらいたいです。



【池田通信員】 バッドフィンガー、素晴らしいステージでした。サポート・メンバーが若いせいか、ジョーイを始め4人のノリが凄まじく、大変勢いのあるうるさい演奏を聴かせてくれました。特にドラムスのジョニーはエネルギッシュかつタイトなドラミングで、すごくカッコ良かったですね。

 最初の2~3曲は「あぁ、僕のバッドフィンガー」という、やや感傷的な気持ちで観ていたのですが、ショーが進むうちに次第に僕の脳裏からピート、トム、マイクの幻影が消えていきました。とにかくジョーイ&3人の「これでもか、これでもか」というエネルギッシュな音に圧倒され、感慨深くなるどころではなかったのです。「これでいいんだよ。今この時を楽しもうぜ!」という、ステージからの熱気が会場を包みました。

 ライブ・アルバム 『デイ・アフター・デイ』 の「自然さの中にも少し陰のある当時のライブの雰囲気」とはどこかしら違う、今回のリラックスした明るいステージは、やはりジョーイの陽気なキャラクターがあったからこそだと感じました(マッカートニーそっくり)。それにジョーイは手抜きなどまったくなしでよくやってくれたと思います。また、サイド・ギターのレズリー・ウエストみたいなマイク君も良かったなぁ。このメンツでバッドフィンガーとしてアルバムを一枚でいいから作ってもらいたいが、そうはならないらしくて少し残念。しかし、ソロ・アルバムが確実に出るので、この日本公演の勢いを作品に注入してもらいたいですね。



【今村通信員】 バッドフィンガーのライブ、楽しんできました。ステージの前の右端からじっくりジョーイの姿を見ました。第一部は日本での初ステージというせいもあるのか、みんな緊張気味。ちょっとバラバラって感じがしましたが、第二部はメンバーのウォーム・アップも終わってか、ずっと充実した演奏を聴かせてくれました。

 ジョーイの曲はさすがにジョーイの熱唱を聴かせてくれましたが、他のメンバーが歌うとちょっと寂しかった。特にマイケルくん。〝カム・アンド・ゲット・イット〟、ちゃんと歌の練習して欲しかったな。

 〝ベイビー・ブルー〟〝デイ・アフター・デイ〟〝嵐の恋〟そして〝ウィズアウト・ユー〟(これは第二部だけだったね)と、往年のヒット曲はうれしかった。大好きな 『Say No More』 からもたくさん演ってくれたし(でもキーボードがないとつまんないよ! 今度は必ずキーボード・プレイヤーを連れてきて欲しい)、アップ・テンポの曲中心だったのはさすがにロックンローラーのジョーイならではと納得。知らない曲とか新曲とかも、2回目には思わず一緒に歌ってしまいました。

 ジョーイのMCもとっても楽しかったけど、お客のシラーっとした態度、あれは良くないね。お客の年齢層が高かったとか、外人さんがいなかったとか理由はいろいろあると思うけど、せっかくスタンディングだから、歌って踊って欲しかったな。すごくノリが悪いんだもん、みんな。

 ジョーイに何かプレゼントをと思って花束を持っていったのですが、アンコールの時もスッと引っ込んでしまって渡せず。仕方なく第一部と二部の間に楽屋越しにジョーイを呼んで、強引に渡してしまいました。すごく喜んでいましたよ。誰もプレゼントを渡さないんだもん・・・。で、後で楽屋へどうぞって招待されたのですが・・・。まあ、第二部ではバックステージ・パスを持っていたので楽屋へ入ることはできたはずですが、結局外で待たされるはめに・・・。ああいう時は自分の権利を主張していいんですよ、同好会のみなさん!
Badfinger 1991 Guest pass Feb 10

 ビルの1Fのエレベーター前でじっと待っていると、ようやくみんな降りてきて、ジョーイとゆっくりご対面! ここでも女の子は私ひとりだったので、えらく歓迎されてしまいました。コーラばかり飲んでいておなかがすいたって騒いでいたけどね。

 パンフレットにジョーイを始め、みんなのサインをもらい、ジョーイが他のファンたちに囲まれている間は、ギターやベースのお兄ちゃんたちとおしゃべりし、車に乗り込んだジョーイをしっかり見送りました(ここでの会話も非常に面白かった)。私はこのようなことは慣れているので、ずうずうしく振る舞ってしまいましたが、今までで一番リラックスしたお見送りでしたよ。警備の人もいないし、ファンもおとなしいし。でも、ジョーイにはちょっと気の毒かな・・・。みんな、もっと明るく、ずうずうしくなって!



2月11日 東京 クラブ・クアトロ ライブ
 

【関口通信員】 当日券で行ってきました。なぜか前売りに手を出さず、アレヨアレヨという間に2月に入って、念のため電話してみると当日券でも大丈夫ということで、2日目の第一部に行ってきました。開演6時のところを、道を尋ねながら到着した頃は10分近くも遅れちゃって心配したのですが、まだ始まっていませんでした。

 同好会の人たちはどこにいるのかな? 勇んで前の方に行っている帽子をかぶった若者は、あまりにミーハーすぎるかな? この人はサラリーマンっぽいしな・・・、この娘はウットリしている・・・とか、友人はいないかな? 芸能人はいないかな? マッキー? 松尾? 杉? 和久井? ・・・。辺りをうかがっているうちに照明が落ちて、〝アイ・ドント・マインド〟。

 ジョーイ以外の人、トムじゃない。アメリカの大学生? ピートもいるわけない。ハンサムな人。ドラムスも感じ良し。ジョーイも若い。
Badfinger 1991 Japan 43 c
ポール以来の外人ライブだ。ポールは遠かった。クアトロは後ろでもジョーイは近い。バンドは上手だと思いました。ベースの人にボーカルを取らせたりもしましたが、ご愛嬌ということで、うまいけど味がない。やはりジョーイの声は慣れているというか味があるというか・・・。たぶん誰かが曲順をメモしたり、細かいことはメモしていると思いましたので、おおらかに見ていたわけです。

 ロックンロール・バンド。ナイスなロックンロール・バンドです。さすがベテラン、天下のバッドフィンガーのロックンローラー、ジョーイですもの。決めの心地よさ。ツインのワクワク・・・。とにかく一回観て、ジョーイに感謝して、もうこだわりは捨てました。ピートとトムだけではないと。バッドフィンガーでした。あれはバッドフィンガーでした。いない人のことばかり思ってて・・・。ジョーイは頑張っている。気持ちが変わった。ありがとう。みなさん、ありがとう。みなさんの努力にパンフレットを一冊購入。次のアルバムは大期待!

 ひとつだけ頭にきたことは、招待状で入ってくる、さほどファンとも思われないような人たちの態度。そばで話し声を聞いて思いました。たぶんレコード会社とか評論関係の業界人。さも知っているように懐かしがったり・・・。奴らはパンフを買ってない。 



【服部通信員】 この度の来日に際して、サイン会やコンサートへ出かけ、楽しい一時を過ごしました。また、星野会長、橘さん、今村さん、菊地さんなどにもお目にかかりました。コンサートは、福井さんの言うように「1990年代のバッドフィンガーを聴く」という考えで観ました(大正解!!)。

 ジョーイは変にお馴染みのナンバーばかりを演奏するのではなく、『Say No More』 や 『After The Pearl』 からの曲や、〝バンパイア・ウェディング〟〝オー・イェー〟のようにレコード化されていない曲もガンガン演奏。本当に演りたいことを演るという感じで、とにかく好感が持てました。『Say No More』 や 『After The Pearl』 からの曲が流れた時、会場のほとんどの人が知らなかったようで、ノリも悪かったです。過去のジョーイにこだわらず、現在のジョーイを素直に受け入れて楽しめばいいのに・・・。

 ジョーイ以外ではA.J.ニコラスの活躍が目立ち、しっかりとジョーイをサポートしたり、自身もボーカルを取るなど頑張っていました。本当に楽しめたコンサートでした。


 
 
 
 [通信25号] ジョーイ・モーランド / トーク・ライブ (渋谷HMV 1991年2月9日) 

 [通信25号] バッドフィンガー / 大阪・名古屋 (1991年2月12,13日) 

 [通信30号] バッドフィンガー / 来日ライブ・レポート (1991年) 
 
 1991年 ジョーイ・モーランド来日直前インタビュー 

 

1991年3月1日発行 第25号


今月の通信員は以下の17人です(到着順)


【神奈川発・菊池通信員】 インディペンデント・アーティストに出した手紙の返事が来ました。

【東京発・池田通信員】 今回のコンサート・チケット、デザインが味気ないですねぇ。《バッドフィンガー通信11号》表紙のチケットは良かったです。 ☆パンフを買いました。写真の美しさにため息をついてしまいました。内容も資料的価値の高いもので、バッドフィンガーを知らなかった人も、どのようなバンドだったのかを手っ取り早く、しかも詳しく知ることができる格好の教材といえます。これで2000円は安いというものですよ。Tシャツももちろんですが、どちらかといえば、ぜひパンフをお買い求めください! と言いたい気持ちです。

【東京発・青木通信員】 コンサートの感想、簡単に書きます。アンコールでやった〝バンパイア・ウェディング〟とライブでお馴染み、シャッフルで刻み込む〝スーツケース〟は最高でした。〝ベイビー・ブルー〟はレコードとほぼ同じアレンジで良かった。ジョーイはギターがうまいです。 ☆ブートCD 『Head Start』 入手。

【福岡発・杉田通信員】 今、バッドフィンガーにとって、すべてが良い方向に進んでいるようです。今年はバッドフィンガーの年になるか?

【島根発・吉川通信員】 バッドフィンガーのコンサート、貧乏大学生なので行けません。大変残念です。大都市圏に住んでいればよかったです。

【神奈川発・今村通信員】 せっかく日本にバッドフィンガー同好会があることをジョーイに知ってもらえたのだから、これからも何らかの形でジョーイとコンタクトを取っていければいいなぁと思います。そんな努力がジョーイの再来日にもつながってきますから。

【埼玉発・星野通信員】 ジョーイはとっても明るく、親切でした。我々の存在も知ってもらえたし、何も言うことなし! 来年あたり、再来日の可能性も大いにあるとのこと。

【茨城発・橘通信員】 2月9日のトーク・ショーでジョーイと感動の握手。手がでかい。 『アス』 にしっかりとサインしてもらいました。

【兵庫発・上坂通信員】 思っていた以上にバンドとしてまとまっていたし、演奏も良かった。しかしジョーイ色の濃い、つまりロック色の濃いコンサートで、バラードを期待していたファンは少々物足りなさを感じたのでは? トムの曲を演奏しなかったのはなぜ?

【北海道発・桜庭通信員】 バッドフィンガーはきっと大ウケして帰っていったのでしょうね。皆さんの感想を聞くのが楽しみです。 ☆札幌のある中古盤店でパンフレットを売っていました。ちょっぴり驚き。でもうれしかったです。

【愛知発・福井通信員】 パンフレットを買いました。カラーがふんだんに使ってあり、資料としても一級品です。金山の「サウンド・ベイ」に10冊ほど置いてありました。 ☆ジョーイはブルーのシャツにウールパンツと、結構地味な衣装でした。

【兵庫発・越智通信員】 アム・ホールで同好会の人と会っているかもしれませんね。顔がわからないので、会ってもわからないですが。

【神奈川発・佐藤通信員】 行ってきました。東京公演2日間。初日の2回は正直言って良くなかったと思う。リハーサル不足というか何というか、こなれてなかった感じで・・・。しかし2日目、特に第二部の公演は素晴らしかった。感動ものです。選曲その他の細かいことにはとやかく言いません。今のバッドフィンガーとしては最高のライブでした。

【福岡発・種田通信員】 今、本当に《バッドフィンガー通信25号》が楽しみなのです。恐らくバッドフィンガーの来日公演をしっかりと紹介する最初のものになるだろうからです。それだけに、各地でのライブ評なりなんなりを《通信》に、そして参加している皆さんに期待しているのです。

【神奈川発・服部通信員】 バッドフィンガーは必要以上に過小評価されてきたのですから、今の盛り上がりでようやくプラス・マイナス・ゼロの位置になったと思います。これから、本当にバッドフィンガーの評価がされ始めるのだと思います。

【愛知発・今泉通信員】 キャシーが書いている本は 「Forbidden Fruit」 という仮題がついているらしいです。

【千葉発・関口通信員】 ジョーイに感謝。彼は頑張っている。気持ちが変わった。ありがとう。



1991年3月1日発行 第25号


2月9日 渋谷 HMV トーク・ライブ


 これから、再結成されましたイギリスのロック・バンド、バッドフィンガーのオリジナル・メンバー、ジョーイ・モーランドのトーク・ライブとサイン会を行います。ミスター・ジョーイ・モーランド!

Joey's Badfinger (Feb 9, 1991) 42 b
Q: いつ日本に着いたのですか? そしてどれくらい滞在するのですか?

☆金曜日(2月8日)の午後4時に到着して、来週の木曜日(14日)までいます。

Q: バッドフィンガーの歴史、ビートルズとの関係については?

☆ウェールズのスウォンジーで結成されたのが25年前。その頃はアイビーズといって、トミーが加入したのが1967年、僕が加入したのは69年。で、名前をバッドフィンガーって変えたんだ。アップルは何とかビッグなグループを生み出そうと考えて、リンゴ・スター主演の映画「マジック・クリスチャン」の主題歌で、ポール・マッカートニー作曲の〝カム・アンド・ゲット・イット〟をバッドフィンガーに歌わせたんだ。あ、この曲だよ(後ろのモニターに映るビートクラブの〝カム・アンド・ゲット・イット〟を演奏するバッドフィンガーをながめる)。これは僕が加入する3ヵ月前にレコーディングされた曲だけど、ポールはこれをバッドフィンガーが歌えば世界中のマーケットでヒットするって言ったんだ。で、その通りヒットして、次のアルバム 『ノー・ダイス』 も当たったんだけど、その次のアルバムとして15曲ほどレコーディングしてアップルに渡したものは、アップルが気に入らなくて没になってしまったんだ。それでジョージ・ハリスンがやり直すことになって、ゲストにレオン・ラッセルなんかも来て〝デイ・アフター・デイ〟でピアノを弾いたし、ジョージもピートとスライド・ギターを弾いたよ。もうすぐレオンも来日するんだろ? その後アップル・レコードからワーナーへ移ったのが1973年。

Q: アップル、ワーナー時代のもので未発表のままの曲は、どれくらいありますか?

☆アルバム2~3枚分ぐらいはあるんじゃないかな?

Q: 1983年の 『After The Pearl』 以降、新曲はどれくらいありますか?

☆1984~85年はイギリスに戻っていたんだけど、アップルやワーナー時代の金銭問題など、片付けねばならないことがいろいろとあって、音楽活動はできない状態だったんだ。でもそれらはすべて解決したので、これからは音楽に力を入れていくつもりさ。その後30曲ほど作ったけど、そのうちの数曲は数年前に海賊盤に収録されて出回っているよ。

Q: 次のアルバムはバッドフィンガーとして? それともジョーイのソロとして発売?

☆ソロだよ。3月2日にレコーディング開始なんだ。今までのアルバムはいろいろなスタイルの曲が入っていたけど、今度はひとつのスタイルに統一したいな。

Q: 今までのアルバム・ジャケットに関して、何か面白いエピソードは?

☆この 『ウィッシュ・ユー・ワー・ヒア』 のジャケット写真はナイト・クラブを借りて撮影したんだけど、ちょっと飲みすぎちゃってね。トミーなんて見ての通り本当に酔いつぶれちゃうし。撮影後もみんなあの衣装のまま、本物の水兵さんのふりをしてバーへ飲みに行ったんだ。すごく楽しかったよ。
Joey's Badfinger (Feb 9, 1991) 42 a

Q: バッドフィンガーの曲、そして自作曲の中で特に気に入っている曲は?

☆みんな好きだから難しいけど、トミーの〝イッツ・オーバー〟や 〝ロスト・インサイド・ユア・ラブ〟、ピートの〝デイ・アフター・デイ〟や 〝ベイビー・ブルー〟〝デニス〟〝テイク・イット・オール〟、自分の曲では〝スーツケース〟 や〝シュッド・アイ・スモーク〟かな。

Q: 日本にバッドフィンガーのファンクラブがあることを知っていましたか?

☆いいえ、まったく。今ここにファンクラブのメンバーは来ているの? (会場から手が挙る) サンキュー・ベリー・マッチ、サンキュー!

Q: 『デイ・アフタ-・デイ』 では、前半にジョーイ、後半にピートの曲が入っていますが、何か意図したのですか?

☆アルバムを作るとき、オープニングとか曲順とかいろいろ考慮して決めることがあるけど、今回は別にそういう訳ではないんだ。自分の曲をトップに持って来たかったという訳でもないし・・・。

Q: 影響を受けた音楽は?

☆エルビス・プレスリー、チャック・ベリー、スタックスやタムラ・モータウンレーベルのもの、サム&デイブ、ボブ・ディラン、ジョン・レノン、B.B.キング、クレディ・キング、アルバート・キングなどなど。チャック・ベリーは今でも買っているよ。

Q: 奥さんがバッドフィンガーについての本を書いているそうですが?

☆キャシーとは結婚して20年になるけど、彼女が自分の体験を基にして書いているんだ。まだ出版について正式決定はしてないんだよ。もうひとつは、1970~74年頃のスタジオやライブでの写真、その他プライベートなものまで含めた写真集になる予定で、これはキャシーとトミーの奥さんのマリアンヌが協力してやってるんだ。

Q: 今回の来日メンバーは?

☆ベースが A.J. Nicholas、ドラムスが John Richardson、ギターが Mike Lichey です。
(l to r)  A.J. Nicholas, John Richardson, Mike Lichey 
Joey's Badfinger (Feb 9, 1991)

Q: 最後に、日本のファンに一言どうぞ。

1968年にレインで来日して以来の二度目なんですが、日本は大好きなので、再び来られてうれしいです。これからも何度でも来たいと思っています。


(以降、サイン会)




【池田通信員】 午後4時半、渋谷HMVに到着。すでに20人ほど集まっており、壁いっぱいのモニターに映る「ビートクラブ」のカム・アンド・ゲット・イット〟を眺めていました。20代の男性が圧倒的でしたが、女性も6~7人いました。

 5時24分、ジョーイ登場! しきりに後ろのモニターを眺めています。その懐かしそうに見つめるジョーイのまなざしが忘れられません。ジョーイは本当に明るい人で、カメラのフラッシュを浴びると最初はちょっと照れていましたが、しばらくすると、なんと自らカメラを持ち、会場に向かって「Smile!」と叫んで笑いを誘っていました。新しいメンバーも登場し、会場から盛大な拍手が贈られました。
Joey's Badfinger (Feb 9, 1991) 41a

 そしていよいよサイン会。ジョーイの前に立った私は、何かをジョーイに訴えたのですが、極度の緊張のあまりなんと言ったのか覚えていません。足はガクガク、顔は引きつる。気弱な自分に腹が立つ!





【今村通信員】 HMVでのトーク・ショーとサイン会、早めに行って前の方で・・・などと考えて行ってみたら、星野会長、上坂さん始め同好会の方にお会いでき、しっかりジョーイの前の場所をキープできました。来ている人がみんな気合が入っていて、録音機材、カメラ、ビデオ、そしてバッドフィンガーのLPの数々を手にスタンバイしているのには唖然! マニアックな世界だ。女性の少ないのにもビックリ。で、この後ずっと目立ってしまいました。

 私たちの前に現れたジョーイは思ったより若くて明るくて、ほっとしました。インタビュー中もなかなかお茶目なところを見せてくれて、後ろのビートクラブの映像をすごく喜んでいました。ファンクラブ(同好会のことをこう呼んでいた)からの質問にもていねいに答えてくれ(通訳はいいかげんだったが)、「この中にファンクラブの人、誰ですか?」という質問にしっかりと手を挙げた私は、ジョーイにファンクラブの人間であることを印象付けてしまいました。

 その後のサイン会は結局、何もHMVで買い物しなくても大丈夫という形(たいていそんなものです)で、私は持って行った 『Ass』 のジャケットにサインをもらいました。「ファンクラブの人だね」ってジョーイに言われたのでうなずき、トッド・ラングレンのことを尋ねたら、一瞬ムッとしてたけど、後は終始にこやかにしてくれていたので安心しました。サインをもらった後、カメラを持ってウロウロしていたら「一緒に写真を撮ってあげます」と関係者の方(外人さん)が言ってくれて、私はずうずうしくサイン中のジョーイの脇に立ったら、ジョーイもポーズを取ってくれて、パチリ。女はこういう時、得です。
Joey's Badfinger (Feb 9, 1991) 41 b



 
 
 
 [通信25号] バッドフィンガー / 東京 クラブ・クアトロ (1991年2月10,11日) 

 [通信25号] バッドフィンガー / 大阪・名古屋 (1991年2月12,13日) 
 
 [通信30号] バッドフィンガー / 来日ライブ・レポート (1991年) 

 1991年 ジョーイ・モーランド来日直前インタビュー 
 
 1990年 デイ・アフター・デイ ライブ 1974 豪華ブックレット 

 

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