バッドフィンガー通信 Badfinger

カテゴリ: マイク・ギビンズ

 
次のお便りはアメリカのサンダースさんからです。これはすごい体験ですよ。 
 
 
「バッドフィンガー通信のみなさん、こんにちは」 
こんにちは 
 
「みなさんは覚えていますか? 1977年6月の自分のことを」 
年までなら覚えているけど、6月と言われてもわかりませんねぇ 
 
「1977年6月、私はスウォンジーに到着しました。バッドフィンガーの関係者に会える確証もなかったけど、とにかくスウォンジーへ行ってみたかったのです。まず安い宿を見つけることから始めました」 
スウォンジー旅行記ですね 
 
「その夜ホテルでやったのは、電話帳を借りてきて、ハムという名字の人に直接電話するという作戦です。その何軒目かの電話に出た女性がヒントをくれました。ジョン・ハム・ミュージックに電話してみたら? ピートのお兄さんですよ、と」 
早くも関係者発見ですか 
John Ham otayori
 
「翌朝、その番号に電話しジョンと話しました。彼はとてもフレンドリーで、楽器店に招待してくれました。それほど遠くなかったので店にはすぐに到着しました。店に入る瞬間、ピートはここに何度も何度も来ていたんだよなぁと思い、感動しました。待っていたジョンと暫く話していると、彼は言いました。ピートのギター、見ていきますか? と」 
John Ham otayori 2
 
「ジョンの後に続いて3階まで上がると、6つのギターケースが並んでいました。アコースティックとエレキが3つずつです。ジョンはケースを開け、ギブソンのSGを私に手渡してくれました。弦は湿った海の空気の影響か少し錆びており、ボディもほこりが少しついていましたが、きれいな状態でした。ビートルズはバッドフィンガーに何本もギターを譲っていたそうで、これもそのひとつとのことでした。2004年にこのギターがオークションで高額落札されたのをニュースで知り、驚きました」 
これですね 
 
「ジョンは他のギターも見せてくれ、6本全部を試し弾きさせてくれました。この素晴らしい体験の後、下の店に戻るとジョンがこう言いました。マイクは時々この店に来るけど会いたい? もちろん会いたいです と答えると、それじゃ私の友人のマーティン・エースの家に泊めてもらえるか尋ねてみるよ。彼はマンのベースでマイクともよく演奏している仲だよ と。私がお金に余裕がないことを察したジョンはその場で話をつけ、結局その日はエース家に宿泊することになりました」 
とんとん拍子で話が進んでいきますね 
 
「ジョンが書いてくれた住所のメモを持ち店を出、それほど時間もかからずエース家を見つけベルを鳴らすと、30歳くらいの細身の男性が出迎えてくれ、妻と4歳の娘を私に紹介してくれました。私はエース家の居間に数日間滞在しました。その間マーティンは彼が過ごしてきたバンド、マンの話やウェールズの音楽シーンのことを教えてくれました」 
この当時、エース夫妻のバンド Flying Aces のドラマーがマイク。夫婦は夏以降破局し、解散らしいですね 
 
「エース家最後の日、ピートが眠る墓地に花を捧げたく思い、その場所をマーティンに尋ね、教えられた火葬場の最寄りのバス停で降りました。大きな建物に入るとき、雨が降り始めました。廊下を歩いて行き、礼拝堂の前に立つ老人にピート・ハムのことを尋ねました」 
 
「老人は最初、70年代初めに亡くなっていた別の人物のことだと思ったらしく、話が噛み合わなかったので再度ピート・ハムだと伝えたところ、大きな本を開いて暫くページをくくっていました。 これかな? 指先のリストには ハム ピーター・ウィリアム の文字がありました。老人は墓地の方を指し、ピートの遺灰はそこにまかれたが、彼の墓石はない と説明しました。お礼をし外に出ると、雨の中に遠くまでたくさんの墓石が見えました」 
 
「その後最初のホテルに一泊し、翌朝ジョンに電話。ジョンはすでに話をつけてあるのでマイクに連絡しろ と電話番号を教えてくれました。マイクに電話すると自宅へ招待され、妻のゲイナーと息子のオーウェンを紹介してくれました。ふたりで音楽の話をしていると、マイクは側面にぶつけた跡があるマーチンのギターを持ち出し、スティービー・ワンダーのキー・オブ・ライフの曲を弾き始めました」
 

バッドフィンガーの雨の散歩道とミッドナイト・コーラー、スティービー・ワンダーのキー・オブ・ライフからの2曲を続けてどうぞ。 




 
CM 
 
「その後、このギターはジョージ・ハリスンがバッドフィンガーにくれたもののひとつで、これを使って何曲か作曲したと言って弾いてくれました。他にもルボックスのテープレコーダーに録音した昔のデモ録音曲も聴かせてくれました。マイクは活気があって陽気で、音楽だけではなく、さまざまなことを話してくれました。ピートの曲に漂うメランコリーな美しい雰囲気についてマイクに尋ねると、それはウェールズ語で言うところの"hiraeth"だと説明してくれました。楽しい時間を過ごし、別れの挨拶をする際、翌日もう一度パブで会う約束をして別れました」 
 
「翌日のパブでの会話は、周りの騒音とマイクのウェールズ訛の英語のせいで理解するのが難しかったのですが、ミッドナイト・コーラーについて尋ねると、ピートが歌っているのは年老いた元売春婦の暗い人生についてだ と説明してくれました。その後はビールを飲みすぎてしまい、ほとんど記憶にありません。一つだけ覚えているのは、どこか他の部屋へ何かの理由で誘われたことと、そこへは行かなかったこと。とにかく飲みすぎてしまい、それ以外のことは覚えていません」 
 
「次に会った時、マイクから素晴らしいプレゼントをもらいました。アンペックスのオープンリールのテープで、箱にはレコード・プラントと書かれていました。マイクによるとバッドフィンガーが最後に録音したヘッド・ファーストというアルバムの10曲だそうで、マイク直々に作者名を書いてくれました。更にウィッシュ・ユー・ワー・ヒアの録音終了時にAIRスタジオで撮影された5枚の写真のコンタクトシートと、それとは別の数枚の写真ももらったのです。私は何度も何度もマイクに感謝しました。素晴らしい瞬間でした」 
Brooke Saunders Mike 1974
Badfinger Demo Reel to Reel Tape Head First
Badfinger Demo Reel to Reel Tape Head First t
 
ヘッド・ファーストからの4曲をどうぞ。 



 
CM 
 
「その後はロンドンに向かい、途中でマイクにメモしてもらったトムの家へ電話しました。しばらくトムと話し、その日会う約束を取り付けました。しかし電車の遅延のため約束の時間に間に合わなくなり、そのことを連絡するとトムもこの後は予定があるとのことで、残念ながら会えずじまいでした。帰国後もマイクとは数年間手紙の交換をしましたが、現在その手紙は行方不明です。しかし、ウェールズ訪問時に撮った写真はすべてあります。時差のことを考えずに電話してしまい、深夜のマイクを起こしてしまったこともありました。さようなら」 
 
 
ピートが亡くなって2年後のスウォンジーでの出来事でした。サンダースさんは現在も地元リッチモンドでバンド活動を続けており、2016年4月にはリッチモンド周辺のミュージシャンを集めてバッドフィンガーのトリビュート・コンサートの開催責任者を務めました。彼のバンドのニートルズも出演しています。
 
最後はこのコンサートの宣伝のためFMラジオに出演した際のニートルズのカバー曲を聞きながらお別れです。みなさんからのお便りをお待ちしています。さようなら 
 
ニートルズ 2016 
 
 
 
 [お便りコーナー 6] 1969年から73年頃のバッドフィンガー 
 
 [お便りコーナー 5] リード・ケイリング 

 [お便りコーナー 3] いい奴じゃん 

 [お便りコーナー 2] ウィズアウト・ユーのオリジナル 

[お便りコーナー 1] クレイグ・マーシャルはピート・ハム 

 

 
次のお便りはアメリカの、え~と゛、誰かな? 
Badfinger - Unreleased and Some Released
 
「3番、アメリカから参りました エドです。覚え方は東京の昔の名前です。バッドフィンガー通信のみなさん、こんにちは」 
こんにちは 
 
「30年近く前、大学卒業前後のことです。週末に帰ったフロリダの実家でローカル紙を読んでいたら、月曜日に行われるバッドフィンガーのライブの広告を見つけました」 
そういう人、多いですね 
 
「最初は信じられなかったです。というのもその会場は田舎の魅力を活かしたカントリー・ミュージック専門の施設として知られていました。なんか場違いな感じだったので、同名のまったく別のカントリー・バンドかとも思いました。それでそこに書かれていたチケットの販売元に電話をかけることにしました」  
 
電話が繋がるまで、リミテが1997年にカバーしたウィズアウト・ユーと、1983年11月6日付ビルボード誌カントリーチャートで12位のヒット曲、T.G.シェパードのウィズアウト・ユー、そして1995年のジュース・ニュートンとグレン・キャンベルが歌うウィズアウト・ユーを続けてどうぞ。なお、曲に続いてCMに入り、CM明けにそのままチケット販売元との電話の実況生放送が続く予定です。 
 
 

 
CM 
 
エド:こんにちは、月曜日の夜のバッドフィンガー公演の広告を見ました。これはロックグループのバッドフィンガーですか? 
チケ:はい、そうです。 
エド:これは70年代のロックグループのバッドフィンガーですか? 
チケ:そうですよ。 
エド:これは70年代イギリスのロックグループのバッドフィンガーですか?
チケ:はい、そのグループだと思います。 
エド:これはビートルズのアップル・レコードの70年代のイギリスのロックグループのバッドフィンガーですよね。 
チケ:お客さま、これがそのバッドフィンガーだと私は思っております。私が知っていることはもうすべてお伝えいたしました。 
エド:ありがとう! 
 
「当日、テーブル席でビールを飲みながらステージ上の前座バンドの演奏が早く終わらないかなぁと左のサイドバーの方を見ると、その後ろのコーナーに紳士が独りぽつんと座っていたのです」 
そういう人も多いですね 
 
「見慣れた人物というか、見慣れた人物が少し歳をとったバージョンです。ちょっと離れていたのですが、それはバッドフィンガーのドラマーのマイク・ギビンズのように見えました」 
マイク、出たぁ! 
 
「彼の席まで行きバッドフィンガーのファンだと自己紹介すると、彼は同席を許してくれたので、私はビールを2杯追加注文しました。しばらくチャットし、サイン用に持ってきたストレート・アップのLPを差し出しました。彼はジャケットの自分が映っているところにサインをしてくれました」 
他人のところには書きにくいからでしょうか? 
 
「最後にもう一枚、Unreleased and Some Released というまだ新しい2枚組のブートLPを出しました。マイクはそれにも丁寧にサインをしてくれ、そろそろ出番だからと立ち上がり、他のメンバーはショーが終わった後にサインしてくれるよ、と言ってくれました」 
マイク、いい奴じゃん 
 
「しばらくして、ステージに登場したバッドフィンガーは4人組で、マイクとジョーイ・モーランドの他は見知らぬ人でした。この後に名前を知ることになるのですが、ひとりはランディ・アンダーソン、もうひとりは、A.J.ニコラス、こちらは他の3人よりかなり若かったです」 
 
「カム・アンド・ゲット・イットやデイ・アフター・デイやウィズアウト・ユーなどバッドフィンガーのおなじみのヒット曲でスタートした後、当日持参したブートレッグLPにも収録されていたヴァンパイア・ウェディングやエンジェルス・ライク・アスが演奏されました。この2曲は数年後にジョーイのソロ・アルバムに収録されますが、この時点ではライブ会場かブート盤でしか聴けなかった曲です」
 
それでは、ジョーイ以外のメンバーは異なりますが1980年代末のライブから エンジェルス・ライク・アスとヴァンパイア・ウェディング を続けてどうぞ。 
 
  
 
CM 
 
「他にはマネー、ベイビー・ブルー、明日の風、スウィート・チューズデイ・モーニング等のなじみの曲に混じって、ホールド・オン、ザ・ドリーマー、アイシクルズといったあまり知られてない曲も演奏されました。アンコールが終わる頃にはかなり感銘を受けていました。そしてバンドが彼らの別れを告げ、観客が出口に向かう中、私はステージに進みました。マイクとジョーイは見つかりませんでしたが、他のふたりがいたのでブート盤を出し、両人にサインしてもらいました。ふたりともそのアルバムを見るのは初めてのようで、熱心にトラックリストなどを見ていました」 
ふたり、いい奴じゃん 
 
「ジョーイとマイクはどこにいるのか尋ねると、たぶんツアーバスに戻っているとのことなので急いでバスを探しに行くと、乗車口に警備員が立っている大型バスを発見しました。警備員にアルバムを見せ、ジョーイにサインをしてもらいたいのですがと伝えると、彼はちょっと待ってろと言い、中に入っていきました」 
警備の人、いい奴じゃん 
 
「しばらくして戻ってきた警備員は、ジョーイは入っていいと言ってる とのこと」 
ジョーイ、いい奴じゃん 
 
「中で興奮しながら20分ほどジョーイとチャットし、最後にサインをお願いしました。まずストレート・アップにサインしたジョーイは、次に出されたブート盤を見るや これにはサインできない ときっぱりと拒否しました。ジョーイによるとこれに収録されている最近のデモ曲は彼が出演したラジオ番組をエアチェックしたものだそうです」
ブート盤にサインを頼んじゃだめじゃん  
 
「マイクが亡くなった際、私は未亡人となったエリーさんに会い、15年前のマイクとの出会いを彼女に伝えることができました。そしてその4年後、ツアーでフロリダに来たジョーイと楽屋で再会し、あの夜の思い出を彼に伝えました。さようなら」 
エド、いい奴じゃん 
 
バッドフィンガーのバック・アゲインを聴きながらお別れです。みなさんからのお便りをお待ちしています。さようなら 
 
 
 
 
 [お便りコーナー 6] 1969年から73年頃のバッドフィンガー 
 
 [お便りコーナー 5] リード・ケイリング 

 [お便りコーナー 4] スウォンジー、1977年6月 

 [お便りコーナー 2] ウィズアウト・ユーのオリジナル 

 [お便りコーナー 1] クレイグ・マーシャルはピート・ハム 

 

 
昨日に引き続き、1960-70年代の音楽関係者の口寄せ専門だという潮来の指太郎さんにお願いして、バッドフィンガーのマイク・ギビンズさんにお越しいただいております。
 
前作に入っているレイアウェイはピートさんについての曲? 
「そうだよ。歌詞を聴けばピートのことが浮かんでくるだろ?」 
ピートさんは一般的には物静かでとてもいい人だと言われていますが、ライブ中に苛ついてピアノを蹴ったこともあったとか? 
「そりゃ、彼もアーティストだからね。そういうこともあるだろ。そういえば、ヘッド・ファーストをレコーディング中だったけど、ピートがチューニング中のギターをピアノに叩きつけたことがあったよ」 
ジョーイさんともステージで揉めたりしたと聞きましたけど、そういうことはよくあった? 
「あったね。ギターでいえば、ジョーイはグルーブを求め、ピートはメロディの男だった。でもピートはいつでもジョーイに合わせてギターを弾くことができたよ。もともとジャズみたいなものの素養があったからね。でも、よく衝突してた」 
それは音楽のことで? それともそれ以外の個人的なことで? 
「うん、どちらもあったね、両方とも」 
ピートさんが一時バンドを離れたのは、キャシーさんが主原因? 
「そうだね。そうだと思うよ。キャシーはバンドをマネージしようとしていたよ。みんなにアドバイスしたり、電話連絡したり。実際のところ、契約に関しても口を出してきたよ。まぁ、解散後のジョーイに対してやっていることと同じだね」 
 
バッドフィンガーの伝記本は読みました? 
「ちょっと読んだよ。で、興味がなくなって途中でやめた。結局は金儲けだね」 
どういうこと? 
「タイトルに The Tragic Story of ってついているから想像できないかもしれないけど、実際にそこで過ごしていた俺からすれば、大部分がいい思い出だったんだよ。争い事もなかったし、親友同士だった。だからこそ、あんなに素晴らしい音楽を残せたんだよ。それでなきゃ無理だよ。俺たちは新進気鋭の一つにまとまったバンドだった。ほとんどの期間、素晴らしかった。食い物にされたり自殺するなんて誰も予知できないよ。そんなこと考えもしてなかった。俺たちが主役だったし、ほとんどの記憶はいい思い出だよ。残された音楽がそれを語っているだろ」 
Without You book ad 1997
ジョーイさんとキャシーさん側で書いているという本に関しては? ちゃんと真実が書かれると思う? 
「どうなのかなぁ。完成するのか? わからないね。完成を願うよ。そしたら読む。たぶんこんな感じになるんじゃないかな」 
どんな感じに? 
「ジョーイ・モーランドはバッドフィンガーを結成しました。そしてすべてのヒット曲を書きました。世界的ヒット曲のウィズアウト・ユーはメンバーと共作しました。そしてすべては戯言です」 
マイクさん、2011年にもう出版されましたよ 
「えぇぇぇ~ 俺が死んでから出すなよぉ」 
Badfinger and Beyond
ヘッド・ファーストについてはどう? かなりいい出来だと思うんだけど 
「それはジョーイがいないからでしょ。彼が辞めた後の録音だから。ピート・ハムとの最後の仕事になってしまったね」 
ジョーイさんもリハーサルで参加した曲はないの? 
「ないよ。もういなくなった後だから」 
それじゃ、ヘッド・ファースト発売に関連してはジョーイさんには一銭も行かない? 
「それはない。全く無関係だから。でもバッドフィンガーの名前を使わせてくれないかもね。ジョーイのバンドのピートより長くいる人に訴えられちゃうよ(笑)」 
ヘッド・ファーストの発売計画(実際には2000年に発売)はマイクさんのアイディア? 
「ワーナーは録音後ずっと放置してきた。で、調べてみたら、彼らからは俺たちに何も支払われていないことがわかったんだ。それで発売もできそうだと感じた。ほとんどの曲のマスターテープのコピーも俺が持っていたしね。LAのレコード・プラントでのミックスはよくないけど、ロンドンでやったものは音もいいね」 
曲に関しては? 
「すごくいい曲もあるね。たとえば、レイ・ミー・ダウンは好きな曲だよ」 
 
ムーン・シャインは? 
「強制によるストレスのもとで書かれた曲だね。当時は給料も支払われておらず、当然蓄えも底をついている状態だった」 
当時、スタン・ポリーのくそったれがバッドフィンガーのお金を支配していることを知っていました? 
「当然知っていたよ。でも選択の余地はなかった。そうするしかなかったんだ」 
当時のボブ・ジャクソンさんについては? 
「マンと一緒にイングランドとウェールズをツアーしたんだけど、彼は全面的に参加したよ」 
バンドにはフィットしてた? 
「うん。違和感なかった。ボブは曲も書けるので、そのまま時が進んでいたら、第二・第三の中心メンバーになっていただろうね」 
Badfinger - Head First ad 2000
ポール・マッカートニーさんとはマジック・クリスチャン後も付き合いがあった? 
「いや、特別なことはなかった。ピートが亡くなった直後に、ロンドンのホテルで偶然ポールに会ったよ。リンダとウイングスのメンバーもいたね。ピートのことやその他いろいろ話したよ。ポールは一杯おごってくれて、背中に触れて言ったよ、What can I say? って。ポールにとってもピートのことはすごくショックみたいだった。それがポールに会った最後だよ」 
そんなこともあったんだ 
「ウイングスにドラマーの欠員があった時、申し込もうとしたけど、その時はデニー・レインの友人に決まってしまって間に合わなかったんだ」 
 
バッドフィンガー解散後の活動は? 
「ボニー・タイラーのシングル、イッツ・ア・ハートエイクに参加してるよ。それとアルバムにも。かなりヒットしたね。彼女のツアーでドイツにも行ったし」 
 
Mike Gibbins Bonnie Tyler  (Top of the Pops 1977-12-08)
それから、リグビー・リチャーズというオーストラリアのカントリー&ウエスタン・シンガーのアルバムにも。基本的にセッション・ワークだね。デビッド・ティプトンのアルバムもやったな。他にもやったけど、あまり覚えてない」 
Mike Gibbins 1978
ソロアルバムで気づいたんですけど、歌とドラムス以外に、ピアノやキーボードも演奏していますよね。それっていつものことなんですか? 
「うん、いつもそうだよ。曲を書くのはピアノの方が楽だからね」 
確かに、ドラムで作曲するよりはやさしいですよね。初めて演奏した楽器はドラム? ピアノ? 
「父がドラムキットを買ってくれたのが14歳の頃で、それが最初だね。それ以前はナイフとフォークでハードカバーの本を叩いてたんだよ。本の題名は忘れたけど」 
それで、お父さんに頼んだんですね 
「それがね、ある日学校から帰ってくると、俺の寝室にドラム一式がセッティングされてたんだ。ほのめかしてはいたんだけどね、ドラムセットが欲しいなぁ って。でも直接頼んではいなかったから、ほんとびっくりしたよ。バスドラに Gigster ってロゴが入っていたよ」 
Gigster ad
こんな感じ? 
「懐かしいな。こんな感じだったよ」 
ソロアルバムはほとんど自作曲ですが、バッドフィンガー時代はあまり書いてませんよね? それ以前の10代の頃はどうでした? 
「当時はみんな、女の子の気を引くためにバンドを始めたんだよ。ミュージシャンになるためじゃなかった。楽器を手に入れて、バンドに入る。それがその年代の楽しみなのさ」 
でもドラムを選んだってことは、何か音楽的にインスパイアされたことがあるんですか? 
「14歳の頃はビートルズの人気がすごくて、ローリング・ストーンズもそれに続こうとしていた時だね。女の子たちはみんな金切り声でビートルズを追いかけてた。 それを見てみんな、'俺もやりたい状態' 。それで同じ髪型にして同じような楽器編成にした。それが楽しい。ビジネスじゃないし。ただただ楽しかった」 
 
トッド・ラングレンさんについてはピートさんやジョーイさんとは違って好印象なんですね 
「一緒に仕事をしていて、彼は素晴らしかったよ。何をやるにも素早かった。もたもたしたところがなかったよ。彼とは馬が合った。あのアルバムの評価は、ジョージがみんな持って行っちゃったけど、実際はトッドのおかげだよ」 
トッドさんは、デイ・アフター・デイのプロデューサー名がジョージさんになっているのを知って、むかついた と言ってますね。それは偶発的? アップル内部による意向? 
「わからない。でも最近はトッドも怒ってるね。ジョージが自分だけで手柄を持って行った って」
ジェフ・エメリックさんがプロデュースした曲もジョージさんがプロデュースした曲も、全部同じようにトッドさんがやり直したのに、エメリックさんの名前は消されていて、ジョージさんはそのまま残ってるという点に意図的なものを感じる って 
「でも本当にそう思うよ。トッドが得た評価は、実際にやったことには遠く及ばない」 
Todd Rundgren
ジョージ版デイ・アフター・デイはどんな風だったの? 
「ジョージのはドラムの音なんて明らかによくなかったよ。それでトッドが録り直した。今聴くことができるデイ・アフター・デイはドラムの音がいいだろ? 最初はこんな音じゃなかったもん。ジョージのオリジナルはこれほどよくなかった。だからトッドはほとんどの部分を作り直したよ。グレートジョブだったね」 
トムさんのトッド評はどうなんだろう? 
「さぁ、どうだったかな。トミーからは聞いたことあるような、ないような。どうだったかなぁ。あ、そろそろ帰るわ」 
トムさんに会ったら聞いておいてくださいよ 
「いいよ。それじゃまたな」 
 
あ、直接トムさんを呼べばいいのかぁ 
 

 
1960-70年代の音楽関係者の口寄せ専門だという潮来の指太郎さんにお願いして、バッドフィンガーのマイク・ギビンズさんを呼びだしていただきました。 
 
マイクさん、お忙しいところわざわざ日本までお越しいただき、ありがとうございます。 
「いやいや、日本には来たかったんだよ。特に水郷の潮来とか恐山とか青木ヶ原とか。で、制作中の2枚目のソロ作のこと? 聞きたいの?」 
というと、1998年現在のマイクさんですか? 
「そうだよ。まだ生きてる時だよ」 
 
制作中の2枚目のソロ作(2000年に発売の More Annoying Songs)にはロン・グリフィスさんが参加とのことですが 
「彼はね、イギリスから来たんだよ。家に2週間泊まったんだ。それだけあればすることは明白だろ?」 
今録音中だけど、参加しない? って感じで? 
「そう。既に録音してあったボーカルを消して、そこに彼のボーカルを入れたんだ」 
Mike Gibbins - More Annoying Songs 2000
録音機材は何トラック? 
「8トラックのADTが1台。やってるのはロックンロールだぜ。8トラックあれば十分さ」 
これでしょ? 当時、日本でも発売されてましたよ。定価19万8000円だとか。 
Mackie CR1604
「これのような気もするけど、断言はしないでおこう」 
ロンさんの歌唱はどう? 
「最高だよ、と 断言しておこう」 
ベース演奏は? 
「衰えてないよ。ずっと弾いているからね。今回も1曲弾いてもらったよ」 
歌の参加は何曲? 
「2曲。あ、もう1曲、バックアップボーカルも (2000年の2ndに収録のオキシダイナモ)」 
 
タイトルは? 
「ちょっと待って。なんだっけ。思い出せない。ちょい待ち。え~とね、もう1週間もテープ聴いてないから。あ、サッド・ザ・クラウン(2002年の3rd Archeology に収録)だ。もう1曲はタイトル出てこないな(2000年の2ndに収録のタイム・ウィル・テル・アス)」 
ロンさんは歌や演奏の面で昔と変わってた? 
「同じだよ。全く同じ彼の音。彼は当時からシンガーとして優秀だったよ」 
曲作りにもロンさんは何か手伝ったりした? 
「歌詞が完成せずに苦労してた曲があったけど、彼がちょっと手を加えてくれたよ」 
ロンさんは今、つまり1998年ですが、今でも曲を書いたりしてる? 
「いや、してない。そんな必要ないじゃん。テレフォン・エンジニアとして働いていて、週末にパブバンドをやってるんだよ。だから曲は作ってない」 
ロンさんがそのまま残ってバッドフィンガーになっていても成功してたと思う? 
「カム・アンド・ゲット・イットにも参加してるしね。ロンはアイビーズでもあり、バッドフィンガーでもあったんだ。そのままのラインナップで行ったとしても、同等以上の結果を残せたと思うよ。でも、物事は希望通りには進まないものだしね」 
 
2枚目になる今作と前作(1997年に発売済の A Place in Time)との大きな違いは? 
「ファーストのようにダークではないよ。よりポジティブにして、ストリップダウンさせた。キーボードもノットソーマッチだよ」 
カタカナが多くてよくわからないですね 
「悪いな、日本語は苦手なんだよ」 
新アルバムにはバッドフィンガー時代の未発表曲など過去の曲も入っています? 
「ないよ。そういうのはないけど、もっと楽しいのが詰まってる」 
レコーディング・スタジオは? 
「世界でも一番だね、狭さにかけては」 
どれくらいの広さ? 
「8フィート四方。日本だと3~4畳かな? 畳のことはあんま詳しくないけど」 
Mike Gibbins - A Place In Time 1997
1997年の初のアルバム A Place in Time の1曲目、 Sue Me って、何のこと? 
「スー・ミー? あれはジョーイ・モーランドへの公開メッセージだよ。彼は誰かれ構わずに訴えてただろ。だからね」 
あ、聞いたことあります。何に対してだっけ? 
「あれだよ、録音テープを持ち去って作ったライブ・アルバム。ヘッド・ファーストの前の1974年に彼がバッドフィンガーを辞めた時、掠め取っていったんだ。バッドフィンガーが唯一持っていたライブ・テープなのにね」 
そんな大事なものを 
「そのテープを使って、彼自身が前面に立って1990年に発売の契約を結んで金稼ぎさ。しかも収支については誰にも明かさない。それで会計士を通して収支決算報告と分配金があれば残りのメンバーにも渡すように要請したのに、彼は俺たちを訴えてきた。ジョーイはまったく聞く耳を持たなかった。ほんと、きかん坊かよ。」 
俺たちって? 
「ピートやトムの相続人、俺自身、それにビル・コリンズを訴えたんだ。最近のジョーイは、俺にとっては悪いニュースしか運んで来ないね」 
もう結果は出たの? 
「いや、彼は引き延ばしてるから。既に裁判の経費が何千ドルもかかってる。結局のところ、勝ったところで赤字だよ。馬鹿げてる。それが彼のやり方さ」 
でも、実際には2000年に結果 (と、その直前の記事) が出てるんでしょ? 
「現実の今現在の時点ではね。でも、さっきまでいたところでは1998年でまだ出てないんだ、そこでは俺もまだ生きているから。ピートとトム以外は、キャシーもビル・コリンズもジョージもみんな生きてる時点の話だからね」 
その辺り、ちょっと複雑なんですね 
「うん。呼び出されても、もともとある資料に沿ってしか話せない決まりなんだよ。悪いな」 
 
いえいえ。それは潮来の指太郎の能力の問題でして。で、そのアルバム、デイ・アフター・デイ自体のクオリティについては? 
「ひでぇよ。あれのドラムの音聴いた?」 
はい 
「ジョーイはディスコ・ビートのドラムに変えてしまったろ。聴けばわかるだろ」 
少なくてもドラムの部分に関しては、手を加えるなら加えるで最初にマイクさんに相談するべきですよね 
「だよな。でもジョーイも自分ができるベストなことはわかってる。意味わかる?」 
CDの最初に自分の曲を全部並べるとか? 
Badfinger - Day After Day back
「彼のバッドフィンガーのベスト盤だよ。見てみろよ。'バッドフィンガー feat. ジョーイ・モーランド グレイテスト・ヒッツ' こっ恥ずかしい」 
何度も同じ内容でタイトルやジャケットを変えて再発されまくっていますね。オリジナル・メンバーの写真も使われてるし。 
「どう思う? 詐欺じゃないの?」 
そういう場合、俺の写真は使うな って言えないの? 
「もちろんできたよ。でもその度に訴訟になるんだぜ。何回やればいいんだよ。以前、バーで飲んでいたらファンからサインを頼まれたんだ。彼が持っていたCDは、そのジョーイのバッドフィンガーの再発盤で、俺の顔が載ってるやつだった。だからそのCDのドラムスも俺だと思ったんだね。あれは恥ずかしかったよ」 
その人にはなんて言った? 
「捨てちまえ!」 
Best Of Badfinger 1994 featuring Joey Molland 1996
「正確無比なバッドフィンガーの伝記本から引用するよ、そんなのないけどさ。いくよ」 
どうぞ 
「引用始め。 ’ジョーイ・モーランドはバッドフィンガーのおこぼれちょうだいで生活しています’ 引用終わり」 
! 
「結局バッドフィンガーではヒット曲は1曲も書かなかったし。そうだろ? ピート・ハムは才能があった。ジョーイは幸運にも後からそこに入ってきた。そしていまだにひとりでバッドフィンガーをやっている。何年やってるんだよ」 
ジョーイさんのバンドのメンバーの中には、ピートさんよりもバッドフィンガー歴が長い人がいる ってよく言いますね 
「ピートよりも長いの? って、俺よりも長そうだな。そりゃぁかっこいいな。無駄に頑張り過ぎだぜ」 
ジョーイさんがツアーでバッドフィンガーの名前を使うのはどう? 
「バッドフィンガーの名前を使ってツアーに出て、アルバムを出す。彼がやっていることは、バッドフィンガーの名前にダメージを与えることなんだよ。とはいえ、甘い汁を吸うことだけが彼ができることだしね。名声を主張するために使っているんだし。俺はそんなことに使わないよ。正しいとは思わないから」 
バーズのドラマーがバーズを名乗ってツアーしてたように? 
「そう。彼には似合ってるよ。俺はしないけど」 
倫理的に? 
「ジョーイには一切、倫理はないよ」 
伝記本を読んだりした印象だと、キャシーさんが来てからジョーイさんは変わってしまったみたいだけど、そう思う? 
「うん。彼女はアンチクライストだね」 
Joey and Kathie
ファンからすればどうして一つにまとまってバッドフィンガーしなかったの? って思うんですよ 
「そうだよな。トミーがいた頃、俺はトミーとツアーに出ていたんだけど、どこかでジョーイが見に来たことがあった。変な感じだったよ。彼らは一緒に演奏なんてしなくなってた。お互いに反目しあって、もうどうにもならなかった。残された3人一緒にひとつのバンドにまとまることだってできたのに、そうはならなかった。人は変化するからな。みんなリーダーになりたがったり、あれこれ言いたがったりね。バッドフィンガーはいいバンドだった。いい曲も演ってた。でも、もう終わってる。今あるバッドフィンガーは別物。俺はバッドフィンガーの名前は使わないよ。俺はマイク・ギビンズだからね。あ、でも次のアルバムには '元マイク・ギビンズことバッドフィンガー' っていうタイトルつけちゃおうか(笑)」 
 
part 2 に続く 
 
 
ここで使った資料の基になったインタビューの一部らしきものが YouTube に出てきた  

 
アップしたのは Ron Griffiths で、彼によると 
I have acquired the right to publish this whole interview with Mike in the future so keep an eye and ear open for the truth “ from the horses mouth " to coin a phrase. 
とのこと。 
 
 

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