バッドフィンガー通信 Badfinger

カテゴリ: 創作

1960-70年代の音楽関係者の口寄せ専門だという潮来の指太郎さんにお願いして、バッドフィンガーのトム・エバンスさんを呼びだしていただきました。 
 
トムさん、お忙しいところわざわざ日本までお越しいただき、ありがとうございます。 
「いやいや、日本には来たかったんだよ。特に水郷の潮来とか恐山とか青木ヶ原とか。で、ピートのこと? 聞きたいの?」 
今回は、ミルウォーキー時代のことをお願いします。 
「ミルウォーキー? 1980年代。 ジョン・キャスだ」 
きっかけは? 
「ジョン・キャスはミルウォーキーでブッキング関係の仕事をしていたんだ。それでどこからか僕のロンドンの自宅の電話番号を見つけて、連絡してきたんだ。ジャーニーとかリトル・フィートのコンサートを地元周辺でやったとか言ってたよ」 
バッドフィンガーを復活させたいって? 
「うん。もともとバッドフィンガーの大ファンだとかで、フランク・シナトラにバッドフィンガーの曲を歌わせる方法もあるなんて言ってた」 
なんか怪しくない? 
「いや、真剣だったよ。ロンドンまで話に来るって」 
いつ頃のこと? 
「1982年の春。それでマイクと一緒にアメリカに向かったんだ。春の終わり頃だった。まずデトロイトに着いてキャスに会った。彼が言うには、バッドフィンガーとしてミルウォーキーに行き、そこを拠点に一緒にツアーしたり、昔のようにバッドフィンガーを復活させよう って」 
メンバーはどうしたの? 
「最初に、イギリスにいるボブ・ジャクソンに声をかけたよ」 
トム、マイク、ボブとそろえば本当に75年のバッドフィンガーの復活ですね 

「うん。ボブはずっと仲間だし親友だからね。詳しい計画に関してはキャスから直接ボブに説明してもらったんだ」 
ボブさんのその後のインタビューでは、キャスの話はすごく疑わしかった、つまり、そんなにうまくいくものなのかと思ったそうですが 
「それは言ってたね。でもボブは金よりも僕との友情、それにまたバッドフィンガーとして活動できるってことで参加してくれたんだ」 
給料は? 
「最初の話だとメンバー各自に週500ドル。それに公演があればその分もプラスするってことだった」 
ボブさん、ちょうど子供が生まれた頃でしたよね? 
「そうそう。エミリーが生まれたばかりだった。歌手になったんだって?」 
 
Emily Jackson - Walk Away 
 
 
こんなに大きくなりました 
「ボブは娘が生まれたばかりということもあって、とりあえず2~3週間の予定でデトロイトに来たんだよ。実際に予定通りうまく事が運ぶかもわからなかったからね。往復の航空チケットは出してもらったと言ってた」 
バンドとしての契約は? 
「それがね、キャスはメンバー個人ごとに独立して契約するのにこだわってたね。僕なんて最初にしたからその時はよくわからなかったけど、他のみんなよりなんかいっぱい契約させられていたよ」 
そういうのって、まずいんじゃないですか? 
「うん。まぁ説明を受けながらサインしたんだけど、いつも素面ってことでもなかったしね。後で考えると失敗だったね」 
期間は? 
「まずは8週間。その後で10週間のオプション」 
ボブさんの予定、大きくオーバーですね 
 
Badfinger - I Won't Forget You 1982 
 
 
 
ここまで口寄せした時点(2015/09/15)で潮来の指太郎さんが倒れ、その後体調が戻るのを待っていたんですが、回復せず。能力喪失。
潮来の指太郎
未完。 
 
 
 
 [創作] 元カルダーストーンズの Norman Bellis さんにインタビュー (1) (2) 

 [創作/潮来の指太郎] ビル・コリンズ編 
 
 [創作/潮来の指太郎] マイク・ギビンズ編 (1) (2) 
 
 

 
お久しぶりです、Bellis さん。 
「やぁ、遙か東方の日が昇る国のバッドフィンガー好きなお方、Stormin' Norm って呼んでおくれよ」 
そうですか、それじゃちょっと日本風にアレンジして、嵐の濃霧って呼ばせて頂きますね。 
「うん。なんか知らんけど、かっこいいじゃん」 
 
前回のインタビューの最後で言ってた、1968年のキャバーンの写真、ありましたよ。 
「おう、でかしたな。ちょっくら見せてみてよ」 
はい、どうぞ 
「これこれ、この写真はポールと結婚前のリンダが撮ったって言ってたな」 
 
トムがアイビーズに入った後も、彼と会うことはあったの? 
「よく会ってたよ。アイビーズ加入直後にも、なんかマネージャーと意見が合わなかったみたいで、もう辞めてやる~とか言ってたけど、一緒に曲を作ったり演奏したりしてうさを晴らして戻っていったこともあったのぉ」 
その時の曲って残ってるの?
「それは、ヒ、ミ、ツ」 

「っていうか、一時は 7 Park Avenue の彼の部屋に入り浸ってルームシェアリング状態じゃよ」 
7 Park Avenue 2013
7 パークベニュー って、ここかな? これは最近だけど、それはいつ頃? 
「お、こんな感じだったぞ。もう40年以上前の1969年。まだロンがいたころだったのぉ」 
ということは、他のメンバーとは顔なじみ? 
「そらそうよ。ロンが辞めた時はトミーもピートも俺のこと推薦してくれたんじゃ、ベースやってたからね」 
でも、ジョーイに決まったんでしょ? 
「まぁ、乗り気だったんだけど、俺の方の事情もあってね」 
大人の事情ってやつでしょ? 
「カルダーストーンズ解散後に Seftons というバンドに入ってなぁ、1968年1月のことよ。で、その契約の関係で、アイビーズに移籍ってのもなかなか難しくてなぁ。タイミングが悪かったんじゃよ」 
 
それではここで、Norman Bellis さん加入前の Seftons の曲をどうぞ! 
 
The Seftons - I Can See Through You  (1967/01) 
 
「これ Seftons 唯一のシングル盤。いい曲じゃな。俺が加入するちょうど1年前か、今初めて聴いたよ」 
唯一って、嵐の濃霧さん、加入しただけで解散なの? 
「いやいや、ここからが大活躍なんじゃよ。Seftons のベース奏者が辞めたので、俺が加入して、それからアップルと契約したんじゃよ。アップルといっても、iPodやMacじゃないぞ」 
そんな話、聞いたことないけど。 
「これ見ておくれよ。ここに収録されてる Perishers というのが Seftons から名前を変えたバンドじゃ」 
94 Baker Street Revisited
「アップルといっても、アップル出版の方だけね。Mike Berry って知ってるじゃろ?」 
ああ、聞いたことあります。確かアイビーズがアップルと契約した時に関係していたような。 
「そうそう、当時はアップル出版の責任者で、Seftons と契約後に、彼がバンド名を The Perishers に変えろって言ったんじゃよ」 
 
それではここで、Norman Bellis さん加入後の Seftons 改め The Perishers の曲を2曲続けてどうぞ! 
 
The Perishers - How Does It Feel (1968/09) 
 
The Perishers - Bye Bye Baby (1968/09) 
 
「これはどちらも俺とメンバーの共作、いい曲じゃろ?」 
そうですね。次の曲が楽しみですね。 
「ところがどっこい、これが Perishers 唯一のシングルなんじゃよ」 
あらら。でもどうせまた名前を変えてレコード出したんでしょ? 
「では、またお会いしようじゃないか。さらばじゃ!」 
Melody-Maker-1968-0914 perishers
 
ちょっと待ってください。今回はトムの話が少なかったから、最後に何かひとつお願いしますよ。 
「そうじゃな。トミーは何かあると俺に自分のことを兄貴って呼べっていうんじゃよ」 
そんなに年齢離れてたの? 
「全然。彼とはたった1日違い。俺が6月6日で兄貴は6月5日」 
1日違うだけで、見た目は30歳くらい弟の方が年上に見えるね、今は。 
「・・・」 
では、またお会いしましょう。さらばじゃ! 
 
 

 
こんにちは、Bellis さん。
「やぁ、遙か東方の日が昇る国のバッドフィンガー好きなお方、Stormin' Norm って呼んでおくれよ」
そうですか、それじゃちょっと日本風にアレンジして、嵐の濃霧って呼ばせて頂きますね。
「うん。なんか知らんけど、かっこいいじゃん」
 
昔、カルダーストーンズにいたそうですね?
「おう、いたよ。ベースやってたよ」
それじゃ、トム・エバンスさんと、ツインベースだったんですね、珍しいなぁ。
「あ、その頃はね、トミーはギターだったんだよ。ボーカルとギター」
なんだ、普通じゃん。
「普通というか、俺はStormin' Norm と呼ばれてたほどだし、トミーのボーカルは絶品だし」
すごかったんだ。
「そりゃ、すごかったよ。当時Youtubeがあれば、再生数かなりいったと思うよ。絶対」
 
そうですね。見たかったなぁ。
「当時のじゃないけど、あるから見てくれる?」
あるんですか? ぜひお願いしますよ。
「それでは聴いてください。The Horse Band が歌います Long Train Runnin' 

あれれ? トムはいないし、なんか老人じゃん。
「これは現在やってるバンドじゃよ。このビデオは2008年11月じゃ」
そうなんですか。もっと昔の60年代のことを、まだ覚えていたらお願いします。
「質問があればなんでも聞いてよ。大サービスで全部答えちゃうぞよ」
 
これ、一番左がトムですよね。
 themcalderstones
「そう。それからひとり飛んで俺だね。それでもう一回ひとり飛ぶとまたトミー」
みなさん学生服を着ていて、中学生ですか?
「これは1966年でしょ? 18歳か19歳だね。もう中学は卒業してました」
嵐の人、ちょっとピート・ハムに似てますよね。
「そう? そんなこと言われるのは初めてだけど」
 
さっき飛ばれてた左から2番目の Billy Geeleher (d) さんって
The Times Billy Geeleher (d)
この写真の一番右の人なんだけど、この当時はThe Timesにいて
胃潰瘍で入院してバンド首になったんでしょ? その後、カルダーストーンズに
来たのかな? それともカルダーストーンズの後の話なのかな?
「どうだったかなぁ。そんな話を聞いたような聞いたことないような」
忘れたってこと?
「いや、遙か東方の日が昇る国のお方よ、そういうことはトミーなら覚えていると思うぞ」
忘れたんでしょ?
「いろいろと大人の事情があってのぉ。そうそう、Billy Geeleher といえばなぁ」
なんか思い出した?
 
「彼はカルダーストーンズの後に、Curiosity Shoppe というバンドに加入してなぁ、、、、、」
加入してどうしたの?
「ビートルズの誰だったかなぁ、、、リンゴじゃないしジョンじゃないしジョージじゃないし、、、」
ならポールじゃん
「それじゃ! そのポールがキャバーンにお忍びで来た時、一緒に写真を撮ったのを自慢してたぞ
それっていつのこと?
「1968年10月25日じゃ。当時彼は Curiosity Shoppe というバンドに加入しててなぁ、、、」
バンド名はさっき聞きました。
「写真は 検索:Cavern Club in Liverpool re-opened in 1968, Paul McCartney じゃ」
探してみます! 
「今は Billy Gill という名前を使っているはずじゃよ、たしか」 
 
「その間一曲お聴きください。1968年11月発売、Curiosity Shoppe の Baby I Need Youです」
 
Curiosity Shoppe - Baby I Need You (1968)
Curiosity Shoppe
Harry Shaw(v), Billy Geeleher(d), Mick Rowley(g), Sammy Rothwell(k), Billy Hargreaves(b) 
 
(2)へ続く 
 

 

 
昨日に引き続き、1960-70年代の音楽関係者の口寄せ専門だという潮来の指太郎さんにお願いして、バッドフィンガーのマイク・ギビンズさんにお越しいただいております。
 
前作に入っているレイアウェイはピートさんについての曲? 
「そうだよ。歌詞を聴けばピートのことが浮かんでくるだろ?」 
ピートさんは一般的には物静かでとてもいい人だと言われていますが、ライブ中に苛ついてピアノを蹴ったこともあったとか? 
「そりゃ、彼もアーティストだからね。そういうこともあるだろ。そういえば、ヘッド・ファーストをレコーディング中だったけど、ピートがチューニング中のギターをピアノに叩きつけたことがあったよ」 
ジョーイさんともステージで揉めたりしたと聞きましたけど、そういうことはよくあった? 
「あったね。ギターでいえば、ジョーイはグルーブを求め、ピートはメロディの男だった。でもピートはいつでもジョーイに合わせてギターを弾くことができたよ。もともとジャズみたいなものの素養があったからね。でも、よく衝突してた」 
それは音楽のことで? それともそれ以外の個人的なことで? 
「うん、どちらもあったね、両方とも」 
ピートさんが一時バンドを離れたのは、キャシーさんが主原因? 
「そうだね。そうだと思うよ。キャシーはバンドをマネージしようとしていたよ。みんなにアドバイスしたり、電話連絡したり。実際のところ、契約に関しても口を出してきたよ。まぁ、解散後のジョーイに対してやっていることと同じだね」 
 
バッドフィンガーの伝記本は読みました? 
「ちょっと読んだよ。で、興味がなくなって途中でやめた。結局は金儲けだね」 
どういうこと? 
「タイトルに The Tragic Story of ってついているから想像できないかもしれないけど、実際にそこで過ごしていた俺からすれば、大部分がいい思い出だったんだよ。争い事もなかったし、親友同士だった。だからこそ、あんなに素晴らしい音楽を残せたんだよ。それでなきゃ無理だよ。俺たちは新進気鋭の一つにまとまったバンドだった。ほとんどの期間、素晴らしかった。食い物にされたり自殺するなんて誰も予知できないよ。そんなこと考えもしてなかった。俺たちが主役だったし、ほとんどの記憶はいい思い出だよ。残された音楽がそれを語っているだろ」 
Without You book ad 1997
ジョーイさんとキャシーさん側で書いているという本に関しては? ちゃんと真実が書かれると思う? 
「どうなのかなぁ。完成するのか? わからないね。完成を願うよ。そしたら読む。たぶんこんな感じになるんじゃないかな」 
どんな感じに? 
「ジョーイ・モーランドはバッドフィンガーを結成しました。そしてすべてのヒット曲を書きました。世界的ヒット曲のウィズアウト・ユーはメンバーと共作しました。そしてすべては戯言です」 
マイクさん、2011年にもう出版されましたよ 
「えぇぇぇ~ 俺が死んでから出すなよぉ」 
Badfinger and Beyond
ヘッド・ファーストについてはどう? かなりいい出来だと思うんだけど 
「それはジョーイがいないからでしょ。彼が辞めた後の録音だから。ピート・ハムとの最後の仕事になってしまったね」 
ジョーイさんもリハーサルで参加した曲はないの? 
「ないよ。もういなくなった後だから」 
それじゃ、ヘッド・ファースト発売に関連してはジョーイさんには一銭も行かない? 
「それはない。全く無関係だから。でもバッドフィンガーの名前を使わせてくれないかもね。ジョーイのバンドのピートより長くいる人に訴えられちゃうよ(笑)」 
ヘッド・ファーストの発売計画(実際には2000年に発売)はマイクさんのアイディア? 
「ワーナーは録音後ずっと放置してきた。で、調べてみたら、彼らからは俺たちに何も支払われていないことがわかったんだ。それで発売もできそうだと感じた。ほとんどの曲のマスターテープのコピーも俺が持っていたしね。LAのレコード・プラントでのミックスはよくないけど、ロンドンでやったものは音もいいね」 
曲に関しては? 
「すごくいい曲もあるね。たとえば、レイ・ミー・ダウンは好きな曲だよ」 
 
ムーン・シャインは? 
「強制によるストレスのもとで書かれた曲だね。当時は給料も支払われておらず、当然蓄えも底をついている状態だった」 
当時、スタン・ポリーのくそったれがバッドフィンガーのお金を支配していることを知っていました? 
「当然知っていたよ。でも選択の余地はなかった。そうするしかなかったんだ」 
当時のボブ・ジャクソンさんについては? 
「マンと一緒にイングランドとウェールズをツアーしたんだけど、彼は全面的に参加したよ」 
バンドにはフィットしてた? 
「うん。違和感なかった。ボブは曲も書けるので、そのまま時が進んでいたら、第二・第三の中心メンバーになっていただろうね」 
Badfinger - Head First ad 2000
ポール・マッカートニーさんとはマジック・クリスチャン後も付き合いがあった? 
「いや、特別なことはなかった。ピートが亡くなった直後に、ロンドンのホテルで偶然ポールに会ったよ。リンダとウイングスのメンバーもいたね。ピートのことやその他いろいろ話したよ。ポールは一杯おごってくれて、背中に触れて言ったよ、What can I say? って。ポールにとってもピートのことはすごくショックみたいだった。それがポールに会った最後だよ」 
そんなこともあったんだ 
「ウイングスにドラマーの欠員があった時、申し込もうとしたけど、その時はデニー・レインの友人に決まってしまって間に合わなかったんだ」 
 
バッドフィンガー解散後の活動は? 
「ボニー・タイラーのシングル、イッツ・ア・ハートエイクに参加してるよ。それとアルバムにも。かなりヒットしたね。彼女のツアーでドイツにも行ったし」 
 
Mike Gibbins Bonnie Tyler  (Top of the Pops 1977-12-08)
それから、リグビー・リチャーズというオーストラリアのカントリー&ウエスタン・シンガーのアルバムにも。基本的にセッション・ワークだね。デビッド・ティプトンのアルバムもやったな。他にもやったけど、あまり覚えてない」 
Mike Gibbins 1978
ソロアルバムで気づいたんですけど、歌とドラムス以外に、ピアノやキーボードも演奏していますよね。それっていつものことなんですか? 
「うん、いつもそうだよ。曲を書くのはピアノの方が楽だからね」 
確かに、ドラムで作曲するよりはやさしいですよね。初めて演奏した楽器はドラム? ピアノ? 
「父がドラムキットを買ってくれたのが14歳の頃で、それが最初だね。それ以前はナイフとフォークでハードカバーの本を叩いてたんだよ。本の題名は忘れたけど」 
それで、お父さんに頼んだんですね 
「それがね、ある日学校から帰ってくると、俺の寝室にドラム一式がセッティングされてたんだ。ほのめかしてはいたんだけどね、ドラムセットが欲しいなぁ って。でも直接頼んではいなかったから、ほんとびっくりしたよ。バスドラに Gigster ってロゴが入っていたよ」 
Gigster ad
こんな感じ? 
「懐かしいな。こんな感じだったよ」 
ソロアルバムはほとんど自作曲ですが、バッドフィンガー時代はあまり書いてませんよね? それ以前の10代の頃はどうでした? 
「当時はみんな、女の子の気を引くためにバンドを始めたんだよ。ミュージシャンになるためじゃなかった。楽器を手に入れて、バンドに入る。それがその年代の楽しみなのさ」 
でもドラムを選んだってことは、何か音楽的にインスパイアされたことがあるんですか? 
「14歳の頃はビートルズの人気がすごくて、ローリング・ストーンズもそれに続こうとしていた時だね。女の子たちはみんな金切り声でビートルズを追いかけてた。 それを見てみんな、'俺もやりたい状態' 。それで同じ髪型にして同じような楽器編成にした。それが楽しい。ビジネスじゃないし。ただただ楽しかった」 
 
トッド・ラングレンさんについてはピートさんやジョーイさんとは違って好印象なんですね 
「一緒に仕事をしていて、彼は素晴らしかったよ。何をやるにも素早かった。もたもたしたところがなかったよ。彼とは馬が合った。あのアルバムの評価は、ジョージがみんな持って行っちゃったけど、実際はトッドのおかげだよ」 
トッドさんは、デイ・アフター・デイのプロデューサー名がジョージさんになっているのを知って、むかついた と言ってますね。それは偶発的? アップル内部による意向? 
「わからない。でも最近はトッドも怒ってるね。ジョージが自分だけで手柄を持って行った って」
ジェフ・エメリックさんがプロデュースした曲もジョージさんがプロデュースした曲も、全部同じようにトッドさんがやり直したのに、エメリックさんの名前は消されていて、ジョージさんはそのまま残ってるという点に意図的なものを感じる って 
「でも本当にそう思うよ。トッドが得た評価は、実際にやったことには遠く及ばない」 
Todd Rundgren
ジョージ版デイ・アフター・デイはどんな風だったの? 
「ジョージのはドラムの音なんて明らかによくなかったよ。それでトッドが録り直した。今聴くことができるデイ・アフター・デイはドラムの音がいいだろ? 最初はこんな音じゃなかったもん。ジョージのオリジナルはこれほどよくなかった。だからトッドはほとんどの部分を作り直したよ。グレートジョブだったね」 
トムさんのトッド評はどうなんだろう? 
「さぁ、どうだったかな。トミーからは聞いたことあるような、ないような。どうだったかなぁ。あ、そろそろ帰るわ」 
トムさんに会ったら聞いておいてくださいよ 
「いいよ。それじゃまたな」 
 
あ、直接トムさんを呼べばいいのかぁ 
 

 
1960-70年代の音楽関係者の口寄せ専門だという潮来の指太郎さんにお願いして、バッドフィンガーのマイク・ギビンズさんを呼びだしていただきました。 
 
マイクさん、お忙しいところわざわざ日本までお越しいただき、ありがとうございます。 
「いやいや、日本には来たかったんだよ。特に水郷の潮来とか恐山とか青木ヶ原とか。で、制作中の2枚目のソロ作のこと? 聞きたいの?」 
というと、1998年現在のマイクさんですか? 
「そうだよ。まだ生きてる時だよ」 
 
制作中の2枚目のソロ作(2000年に発売の More Annoying Songs)にはロン・グリフィスさんが参加とのことですが 
「彼はね、イギリスから来たんだよ。家に2週間泊まったんだ。それだけあればすることは明白だろ?」 
今録音中だけど、参加しない? って感じで? 
「そう。既に録音してあったボーカルを消して、そこに彼のボーカルを入れたんだ」 
Mike Gibbins - More Annoying Songs 2000
録音機材は何トラック? 
「8トラックのADTが1台。やってるのはロックンロールだぜ。8トラックあれば十分さ」 
これでしょ? 当時、日本でも発売されてましたよ。定価19万8000円だとか。 
Mackie CR1604
「これのような気もするけど、断言はしないでおこう」 
ロンさんの歌唱はどう? 
「最高だよ、と 断言しておこう」 
ベース演奏は? 
「衰えてないよ。ずっと弾いているからね。今回も1曲弾いてもらったよ」 
歌の参加は何曲? 
「2曲。あ、もう1曲、バックアップボーカルも (2000年の2ndに収録のオキシダイナモ)」 
 
タイトルは? 
「ちょっと待って。なんだっけ。思い出せない。ちょい待ち。え~とね、もう1週間もテープ聴いてないから。あ、サッド・ザ・クラウン(2002年の3rd Archeology に収録)だ。もう1曲はタイトル出てこないな(2000年の2ndに収録のタイム・ウィル・テル・アス)」 
ロンさんは歌や演奏の面で昔と変わってた? 
「同じだよ。全く同じ彼の音。彼は当時からシンガーとして優秀だったよ」 
曲作りにもロンさんは何か手伝ったりした? 
「歌詞が完成せずに苦労してた曲があったけど、彼がちょっと手を加えてくれたよ」 
ロンさんは今、つまり1998年ですが、今でも曲を書いたりしてる? 
「いや、してない。そんな必要ないじゃん。テレフォン・エンジニアとして働いていて、週末にパブバンドをやってるんだよ。だから曲は作ってない」 
ロンさんがそのまま残ってバッドフィンガーになっていても成功してたと思う? 
「カム・アンド・ゲット・イットにも参加してるしね。ロンはアイビーズでもあり、バッドフィンガーでもあったんだ。そのままのラインナップで行ったとしても、同等以上の結果を残せたと思うよ。でも、物事は希望通りには進まないものだしね」 
 
2枚目になる今作と前作(1997年に発売済の A Place in Time)との大きな違いは? 
「ファーストのようにダークではないよ。よりポジティブにして、ストリップダウンさせた。キーボードもノットソーマッチだよ」 
カタカナが多くてよくわからないですね 
「悪いな、日本語は苦手なんだよ」 
新アルバムにはバッドフィンガー時代の未発表曲など過去の曲も入っています? 
「ないよ。そういうのはないけど、もっと楽しいのが詰まってる」 
レコーディング・スタジオは? 
「世界でも一番だね、狭さにかけては」 
どれくらいの広さ? 
「8フィート四方。日本だと3~4畳かな? 畳のことはあんま詳しくないけど」 
Mike Gibbins - A Place In Time 1997
1997年の初のアルバム A Place in Time の1曲目、 Sue Me って、何のこと? 
「スー・ミー? あれはジョーイ・モーランドへの公開メッセージだよ。彼は誰かれ構わずに訴えてただろ。だからね」 
あ、聞いたことあります。何に対してだっけ? 
「あれだよ、録音テープを持ち去って作ったライブ・アルバム。ヘッド・ファーストの前の1974年に彼がバッドフィンガーを辞めた時、掠め取っていったんだ。バッドフィンガーが唯一持っていたライブ・テープなのにね」 
そんな大事なものを 
「そのテープを使って、彼自身が前面に立って1990年に発売の契約を結んで金稼ぎさ。しかも収支については誰にも明かさない。それで会計士を通して収支決算報告と分配金があれば残りのメンバーにも渡すように要請したのに、彼は俺たちを訴えてきた。ジョーイはまったく聞く耳を持たなかった。ほんと、きかん坊かよ。」 
俺たちって? 
「ピートやトムの相続人、俺自身、それにビル・コリンズを訴えたんだ。最近のジョーイは、俺にとっては悪いニュースしか運んで来ないね」 
もう結果は出たの? 
「いや、彼は引き延ばしてるから。既に裁判の経費が何千ドルもかかってる。結局のところ、勝ったところで赤字だよ。馬鹿げてる。それが彼のやり方さ」 
でも、実際には2000年に結果 (と、その直前の記事) が出てるんでしょ? 
「現実の今現在の時点ではね。でも、さっきまでいたところでは1998年でまだ出てないんだ、そこでは俺もまだ生きているから。ピートとトム以外は、キャシーもビル・コリンズもジョージもみんな生きてる時点の話だからね」 
その辺り、ちょっと複雑なんですね 
「うん。呼び出されても、もともとある資料に沿ってしか話せない決まりなんだよ。悪いな」 
 
いえいえ。それは潮来の指太郎の能力の問題でして。で、そのアルバム、デイ・アフター・デイ自体のクオリティについては? 
「ひでぇよ。あれのドラムの音聴いた?」 
はい 
「ジョーイはディスコ・ビートのドラムに変えてしまったろ。聴けばわかるだろ」 
少なくてもドラムの部分に関しては、手を加えるなら加えるで最初にマイクさんに相談するべきですよね 
「だよな。でもジョーイも自分ができるベストなことはわかってる。意味わかる?」 
CDの最初に自分の曲を全部並べるとか? 
Badfinger - Day After Day back
「彼のバッドフィンガーのベスト盤だよ。見てみろよ。'バッドフィンガー feat. ジョーイ・モーランド グレイテスト・ヒッツ' こっ恥ずかしい」 
何度も同じ内容でタイトルやジャケットを変えて再発されまくっていますね。オリジナル・メンバーの写真も使われてるし。 
「どう思う? 詐欺じゃないの?」 
そういう場合、俺の写真は使うな って言えないの? 
「もちろんできたよ。でもその度に訴訟になるんだぜ。何回やればいいんだよ。以前、バーで飲んでいたらファンからサインを頼まれたんだ。彼が持っていたCDは、そのジョーイのバッドフィンガーの再発盤で、俺の顔が載ってるやつだった。だからそのCDのドラムスも俺だと思ったんだね。あれは恥ずかしかったよ」 
その人にはなんて言った? 
「捨てちまえ!」 
Best Of Badfinger 1994 featuring Joey Molland 1996
「正確無比なバッドフィンガーの伝記本から引用するよ、そんなのないけどさ。いくよ」 
どうぞ 
「引用始め。 ’ジョーイ・モーランドはバッドフィンガーのおこぼれちょうだいで生活しています’ 引用終わり」 
! 
「結局バッドフィンガーではヒット曲は1曲も書かなかったし。そうだろ? ピート・ハムは才能があった。ジョーイは幸運にも後からそこに入ってきた。そしていまだにひとりでバッドフィンガーをやっている。何年やってるんだよ」 
ジョーイさんのバンドのメンバーの中には、ピートさんよりもバッドフィンガー歴が長い人がいる ってよく言いますね 
「ピートよりも長いの? って、俺よりも長そうだな。そりゃぁかっこいいな。無駄に頑張り過ぎだぜ」 
ジョーイさんがツアーでバッドフィンガーの名前を使うのはどう? 
「バッドフィンガーの名前を使ってツアーに出て、アルバムを出す。彼がやっていることは、バッドフィンガーの名前にダメージを与えることなんだよ。とはいえ、甘い汁を吸うことだけが彼ができることだしね。名声を主張するために使っているんだし。俺はそんなことに使わないよ。正しいとは思わないから」 
バーズのドラマーがバーズを名乗ってツアーしてたように? 
「そう。彼には似合ってるよ。俺はしないけど」 
倫理的に? 
「ジョーイには一切、倫理はないよ」 
伝記本を読んだりした印象だと、キャシーさんが来てからジョーイさんは変わってしまったみたいだけど、そう思う? 
「うん。彼女はアンチクライストだね」 
Joey and Kathie
ファンからすればどうして一つにまとまってバッドフィンガーしなかったの? って思うんですよ 
「そうだよな。トミーがいた頃、俺はトミーとツアーに出ていたんだけど、どこかでジョーイが見に来たことがあった。変な感じだったよ。彼らは一緒に演奏なんてしなくなってた。お互いに反目しあって、もうどうにもならなかった。残された3人一緒にひとつのバンドにまとまることだってできたのに、そうはならなかった。人は変化するからな。みんなリーダーになりたがったり、あれこれ言いたがったりね。バッドフィンガーはいいバンドだった。いい曲も演ってた。でも、もう終わってる。今あるバッドフィンガーは別物。俺はバッドフィンガーの名前は使わないよ。俺はマイク・ギビンズだからね。あ、でも次のアルバムには '元マイク・ギビンズことバッドフィンガー' っていうタイトルつけちゃおうか(笑)」 
 
part 2 に続く 
 
 
ここで使った資料の基になったインタビューの一部らしきものが YouTube に出てきた  

 
アップしたのは Ron Griffiths で、彼によると 
I have acquired the right to publish this whole interview with Mike in the future so keep an eye and ear open for the truth “ from the horses mouth " to coin a phrase. 
とのこと。 
 
 

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