次のお便りは ゴードンさんからです 
  
「バッドフィンガー通信のみなさん、こんにちは」 
こんにちは 
 
「私は1969年9月に初めてアイビーズのメンバーに会いました。当時私は、彼らのマネージャーのビル・コリンズとアイビーズが住むゴルダーズ・グリーンの家から南に3kmほどの場所に住んでいました」 
近からず遠からずですね 
 
「ビルの息子のルイス(みんなルーと呼んでいました)と一緒に部屋を借りて、演劇学校に通っていたのです。部屋代は週にひとり2.75ポンドでした」 
よくわからないけど、高からず安からずでしょうか? 
 
「当時のアイビーズはお金もほとんどなく、食事も粗末なものでしたよ。でもみんなで近所のパブによく飲みに行きました。ピートがウィズアウト・ユーの元歌のイフ・イッツ・ラブを書いた夜もピート以外のみんなでパブに行ってました。その後、7パーク・アベニューに戻ると、家のスタジオに完成した曲があったのです」 
 この頃のことですね? 

 
「スタジオと言っても、広さ3m四方ほどの防音を施した普通の部屋でした」 
思っていたよりも広からず、広からずですね 
 
「マジック・クリスチャンのセッションから戻ってきたピートから聞いた話で覚えているのは、声帯に負担をかけずにロング・トール・サリーを歌う方法をポール・マッカートニーから教わったということ。それから、当時まだ雑誌などに載っていなかったセクシー・セディーの背後にある物語なども話してくれました」 
この頃のことですね? 

 
「バッドフィンガーがレコーディングしている時、ルーと一緒に何度かアビーロードに行きました。みんなで録音した曲を聴いていた時、一度だけジョージ・ハリスンが入ってきたことがありました。どの曲だったかは覚えていませんが、ジョージはしばらく一緒に曲を聴き、"このドラムの音は好きじゃないな"と言って出ていきました」 
 
Layla
「その後は収入も増え、家も改装されました。ピートはレイラという名前のイングリッシュ・シープドッグを飼っていました。1973年の初夏、ビル・コリンズはまだ20代のカナダ人女性と結婚することになりました。ジョン・レノンが以前ビルのことを"1969年のヒッピー・オブ・ザ・イヤー"と呼んだこともある通り、60歳になっても白髪の長髪でパイプをくわえていました」 
Bill Collins pipehippie
 
「ふたりの結婚披露宴の演出はビルの息子のルーに任され、親友だった私もいろいろ手伝いました。裏庭に大きなテントを設営したのもバッドフィンガーの4人とローディーたち、それにルーと私でした」 

 
「この時、日本のテレビ局のクルーが撮影に来ていました」 
 この頃のことですね? 


「ルーは家のすべての部屋をそれぞれ異なるテーマで飾り付けました。ローレル&ハーディバスター・キートンのフィルムが展示された部屋もありました」 

「でもこの結婚はすぐに終わったんです。ビルはその後、元教師のアンという素晴らしい女性と再婚し、人生を全うしました。めでたしめでたし」 
 
 
それではお別れの時間です。みなさんからのお便りをお待ちしています。めでたしめでたし 
 
 
 
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