バッドフィンガー通信30号 1991-08-01

1991年8月1日発行 第30号

ライブ・レポート


【ロッキング・オン 1991年4月号】

 バッドフィンガーのコンサートの初日、僕はリハーサルを見るために、2時半に会場に行った。そこで数曲を聴いて、安心をした。2日前に彼らが来日をし、ホテルに入った直後に30分ぐらい会ったのだけど、ジョーイ以外のメンバーがやたら若いので、ちょっと不安になっていたのだ。しかし、しっかりしているし、力強い音であった。ジョーイはかつてのオリジナル・バッドフィンガーの頃と、ほとんど変わってはいなかった。少し太ってはいたけれど、ヘアスタイルも同じだし、べビイフェイスである。

 リハーサルは最初は軽く流して和気藹々としたものだったのだけど、だんだんに厳しいものになり始めた。アメリカから連れて来たPAエンジニアに、ジョーイが「俺たちはロックンロールをやるんだ。キャバレーじゃないんだ」と言ったりもしていた。結局、ドア・オープンの直前までリハーサルは続けられた。スタッフが動き回る中ではあったけれど、〝ベイビー・ブルー〟 や  〝スウィート・チューズデイ・モーニング〟  などを日本で最初の唯一の観客として聴けたのは、幸運なことだったのだろう。

 ライブは一日二公演で、観客数は一回目が五百人、二回目が四百人といったところだろうか。もちろん、クアトロは満員である。さっきも書いたように、演奏は力強かった。ナツメロ・バンドのようなところはまったくなくて、完全に現役のロックンロール・バンドである。一応はオリジナル・バッドフィンガーのヒット・ソングもやったけど、レパートリーの半分はそれ以後のものだったのも、現在進行形のバンドのイメージを強くした。ステージ進行も現役バンドで、ラフに行われる。目立つミスも何回かあったけれど、ジョーイはまったく気にはしないようだ。曲順も、あってもないようなものだったようだ。なんてったって、二回目にはやった 〝ウィズアウト・ユー〟 を一回目にはやらなかったものね。ともかく、ほっとしたというのが僕の本心である。ここ数ヵ月入れ込んでいた人間としては、リハーサルを見てあまりひどかったら、何もなかったことにして帰っちゃおうと思っていたのだ。

 二回目のステージが終わった後に、ちょっとだけジョーイと話をしたのだけど、僕の名前を覚えていたのにはびっくりした。ニック・ロウなんか、二日前に三回名前を訊いてきたからね。こうなってくるというと、最初に会った時に「明日、ホテルの部屋に遊びに来いよ」と言われたのに、用があって行けなかったのが悔やまれてならない。

 もしかしたら年内にもう一度来日するかもしれないというから、期待をしたい。今度はジョーイ・モーランド・バンドでもいいのではないだろうか。

〔松村雄策〕


【ミュージック・マガジン 1991年4月号】

 オリジナル・メンバーはジョーイ・モーランドのみという形での来日公演である。他のメンバーは若々しい面々。バンドという形態か否か、ふと気になったりもするが、客席は世代を超えたオーディエンスで埋め尽くされていた。約1時間20分、かつてヒットした名曲 〝嵐の恋 〟や 〝デイ・アフター・デイ〟 、モーランドの筆による最近の作品 〝バンパイア・ウェディング〟 〝オー・イェー 〟などが演奏された。初日のためか、〝スウィート・チューズデイ・モーニング〟 の演奏でのミキシングのずさんさなどPAの雑な部分が目立ち、ディスクで聴く範囲での「よくできたポップ・サウンド」というバッドフィンガー像からは、やはり遠く離れたステージであったと思う。まあ確かに、陣容にしろ何にしろ、まったく別のものとして考えるべきなのだろうが・・・。このバンドをかつて支援したプロデューサーたちの力量を、却って浮き彫りにしたようで残念です。オーディエンスも、その点は非常にさめた目で見ていたようだった。

〔小塚昌隆〕


【アップル・コレクターズ 21号 1991年4月】

 1991年2月9日は、僕にとって忘れられない一日だった。その日、渋谷のHMVというレコード店で開催されたバッドフィンガーのサイン会に出席し、ジョーイ・モーランド本人にサインをもらい、しかも握手までしてもらったのであった。そして翌10日と11日、同じく渋谷のクラブ・クアトロでの公演に出かけ、両日とも第一部(18時開演)のライブを観たのである。10日のライブはただもうジョーイだけをひたすら観ていたが、11日のライブはメモを取りながら観ることにした。以下、メモを参考に記す。

 開演18時から少々遅れて始まったステージ。1曲目は 〝アイ・ドント・マインド〟 で、ジョーイとベースのA.J.ニコラスが実にきれいなハーモニーを聴かせてくれた。このニコラス君は実にジョーイをしっかりとサポートし、とても頼もしい存在であった。前日(10日)のライブと同様、アンプの具合が悪く、状況を見るためにかジョーイはすぐに2曲目には入らず、居眠りのふりなぞをしている。その2曲目はジョーイのボーカルによる 〝ベイビー・ブルー〟 で、コーラスは例によってニコラス君。次の曲はあまり聴き慣れぬロックンロール・ナンバー。それもそのはず、ブート盤でしか聴けない 〝オー・イェー〟。ジョーイがマイクスタンドの下のスピーカーに貼っていた演奏曲リストの紙を、後でスタッフの人に見せてもらい、正式タイトルであることを確認。3曲目でいきなりロックンロールしまくってしまったジョーイは、ステージに置いてあったビール缶を開け、さっそく飲んでいる。実にリラックスしていて良い。「次の曲はドリーマーです」とコメントし、〝ザ・ドリーマー 〟が始まった。レコードよりやや高めのキーで歌い始めると、ニコラス君ともうひとりのギタリスト、マイク・ライチーがハーモニーをつける。ジョーイの思い切り感情豊かな長いギター・ソロが終わると、今度は「ロックンロールをやるよ。シャッフル・ビートのね」と言って、〝ゲット・アウェイ〟 を演奏する。やや調子っぱずれのボーカルだけど、ジョーイはロックしまくっている。ちなみに10日のライブでは、この曲を演奏していたジョーイが力演しすぎてギターの弦を切ってしまったのだが、今日は無事だった。6曲目はなんとニコラス君のボーカルによる 〝嵐の恋〟。がんばっているし、ここは素直に聴いてあげよう。

 ジョーイの服装もチェック。照明の影響もあってわかりにくいが、紫色のシャツに濃い灰色のズボンをはいているようだ。続く7曲目は 〝アイ・ガット・ユー〟。演奏が終わるとジョーイは「グッド・タイム?」と客席を見渡し、「1984年の作品です」とコメント、〝ドリームズ・オブ・サンダー〟 を演奏する。この曲で、ソロを弾きまくっていたジョーイのギターの弦が切れてしまったのだが、それにもかかわらずなおもソロを弾く姿は、えらくかっこいい。曲が終わると、弦の張り替えのためにギブソンのギターからフェンダー・テレキャスターのギターに持ち替える。そしてスモークが流れ、オレンジ色のライトだけのステージで、ジョーイは切々と 〝スウィート・チューズデイ・モーニング〟 を歌い上げていく。ドラマーのジョン・リチャードソンは、ブラシのみを使用してリズムをつける。この辺りは、やはりオリジナル・メンバーのマイク・ギビンズのバスドラ使い分け演奏と比べるとやや不満。観客にもよく知られているこの曲は大喝采で、ジョーイも「サンキュー、サンキュー」と応える。再びしっとりとした長いアルペジオのギター・イントロで、〝ホワット・ハプンド〟 に入っていく。この曲などはとてもしっとりとしたナンバーだけに、薄紫や濃紫のライト、赤や水色のライトが交差するステージは、観る者に水底にいるような静けさを感じさせてくれる。間奏で、ジョーイは再びギブソンに持ち替えるが、10日のステージでギブソンの弦が切れた後、最後までフェンダーを使用していたことを考えると、どうもギブソン派のジョーイにとってはフェンダーよりもずっと弾きやすいのだろう。曲が終わると「ヤー」とジョーイのご愛敬。ちらりと腕の時計を見た後、「グッド・ヘルプ」などと言ってビールを飲んだりするところは、う~む、やはり貫禄である。ここらが後半のステージの盛り上がりにもってこいの時間であろうと見計らったのか、ついにあの涙の 〝デイ・アフター・デイ〟 である。リード・ボーカルはジョーイだ。 〝嵐の恋〟 はニコラス君のボーカルだったが、この曲だけは譲れないよね。「ピート・ハムの作品によるオールディーズです」と言って、あのオープニングのギター・ソロが入るや否や、会場も大いに盛り上がる。ジョーイも思わず「サンキュー、ベリーマッチ」とうれしそうだ。

 12曲目はニコラス君による 〝ミッドナイト・サン〟。ピートのことを思い出してはニコラス君には気の毒だから、やはり素直に聴いてあげる。無事に歌い終えるとジョーイが「A.J.!」と言って彼を盛り立てている。うんうん、いいよ。続いて 〝ウィズアウト・ユー〟。10日の第一部では演奏しなかった曲だ。ピートのパートはジョーイが、トムのパートはニコラス君が担当する。この曲を聴いてしまうと、やはりいけないとは思いつつも、ピート&トムがここにいたら・・・と考えてしまう。14曲目は 〝アンディ・ノリス〟。前日の公演ではジョーイの声が嗄れてしまって、あまりボーカルが聴き取れなかったが、今日はちゃんと声が出ている。この曲が始まる前に、ビールで喉を湿らせたのが効いたのか? 日本のファンにはお馴染みの曲だけに、大いに会場も盛り上がっている。ジョーイも「サンキュー・ベリーマッチ」とコメントする。続く15曲目は 〝カム・アンド・ゲット・イット〟。思い切り歌の下手なマイク君のリード・ボーカルで、初日に聴いた時はちょっと悲しかったが、今日はジョーイが最初からボーカルをサポートし、ニコラス君までコーラスをつけている。もちろんマイク君も何とか頑張って歌っている。ラストの「サニー・・・」のくだりではちょっとブレイクをおいて、ジョーイが笑いながら「イフ・ユー・・・」と続けるあたり、なかなか微笑ましい光景だ。とりあえずこの曲でライブは終わり、「サンキュー・エブリバディ、シー・ユー・アゲイン」とジョーイは言ってバンドと共にステージを去るのだけど、当然アンコールはあるのだ。

 「楽しんでるかい?」と言って再びステージに戻ったジョーイ&バッドフィンガーのメンバー。アンコ-ルは 〝スーツケース〟 だ。マイク君はあまりスライド・ギターがうまくないので始終心配していたのだけど、この曲でのギターは非常に良い演奏であった。17曲目は、再びブート盤でしか聴けない 〝バンパイア・ウェディング〟。いいなぁ、この曲。初日のステージでは吸血鬼の真似をして、手をヒラヒラさせていたジョーイがお茶目であったが、今日はひたすらロックンローラー。汗をかきまくり、髪を振り乱しての大熱演。気合200%のギター・ソロから怒涛のようにメドレー形式で 〝ノー・モア〟 に流れ込む。凄い、凄い。最後のジョーイのギター・ソロはもう無茶苦茶にギターをかき鳴らして、それこそ大迫力。ついには弦を切ってしまう。うむ、ジョーイは素晴らしい。彼の、そしてバッドフィンガーのファンでいてよかった。

 「ドウモ」と片言の日本語で会場にお別れを言うジョーイ。いや、とにかく感動したライブでありました。

〔服部聡央〕


【プレイヤー 1991年 月号】

 それにしても、これをバッドフィンガーのライブと言って果たしていいのだろうか。確かに “嵐の恋” も 〝デイ・アフター・デイ〟 も聴けたし、そこにいたのはまぎれもなくジョーイ・モーランド、その人だったのだが。当初は、ピート・ハムとトム・エバンスを除く生き残り2名がやって来るということだった。しかし実際はジョーイひとりに対し、サポート・メンバー3人というラインアップ。したがって、どうしてもジョーイ・モーランドのソロ・プロジェクトといった印象は拭えない。むしろ、これに対して(当時の)バッドフィンガーを期待する方が間違っていたのである。

 今回のライブの最大の不幸は、バッドフィンガー名義で行ったことにある。しかも、アルバムは現在すべて廃盤で、一度も日本に来ないまま二人のメンバーを喪って解散した「幻のバンド」を、嘘でもいいから一度は拝みたいというファンの気持ちもわからないではない。しかし、これは明らかにジョーイ・モーランドのソロ・ライブだった。しかも、ジョーイはソロとしての最高のステージを見せたといってもいいと思う。もしもこれがジョーイの単独来日公演として行われていたら、たとえバッドフィンガーのヒット曲を連発しても、こんな後味の悪い虚しさは残らなかったはずだ。なぜなら、それほどジョーイのプレイはポジティブで力強く、このユニットでの息も合っていたからである。再結成でも何でもない「バッドフィンガー来日」という幻想が、ジョーイの一生懸命な音楽に対する志と今後の方向性への興味を踏みにじってしまった。

 3回のアンコールの後、いつまでも世代交代しない年齢層の高い客が、これでいつ死んでもいいとばかりに目に涙を浮かべ満足そうにお腹をたたいていた。けれど一方で、顔を真っ赤にして「ジョーイのソロ・アルバムが楽しみだね」と小さな声でささやき合う、若い子もいたということを最後にお伝えしておきたい。

〔渡辺まり〕


【バッド・チューニング 2号 1991年4月】

 オリジナル・メンバーはジョーイ・モーランドただひとりの来日公演だったため、『デイ・アフター・デイ』 発売に便乗した一時的再結成と受け取られそうなバッドフィンガーだが、実は1986年後半から地道に活動を続けてきたという。もうひとりの生き残りメンバーのマイク・ギビンズも去年までは行動を共にしており、86年再結成バッドフィンガーがメンバー・チェンジを繰り返した末の初来日というのが実際のところであろう。

 70年代のピート・ハムとトム・エバンスを含んだオリジナル・メンバーによるライブ、80年代初期のトムとジョーイ中心のライブ、80年代後半のジョーイとマイク中心のライブ、そして今回の来日ライブを比べてみると(来日ライブ以外は、一部で出回っている隠し録りテープ)、メンバーの違いによる演奏曲目の変化はあるものの、演奏スタイルはほぼ一貫している。つまり、レコードで聴くバッドフィンガーとは異なった面をライブで見せようとしていることがはっきりとわかる(特に70年代)。往年のバッドフィンガーのレコード)を期待していて今回のライブを聴いてがっかりした人は、当時のバッドフィンガーが来日していたとしても、それを聴けばがっかりしていたと思う。オリジナルを見ることができたという満足感は残るであろうが・・・。70年代のバッドフィンガーのレコードに近いサウンドを前記のライブから探すならば、80年代中頃のキーボードを含んだラインアップのもの、あるいは今回演奏した往年のヒット曲(ただしピートのボーカルは当然聴かれない)あたりだといえば、わかっていただけるだろうか?

 ひょっとすると、アイビーズと名乗っていた1969年頃のライブは、多くの人が期待しているポップで繊細なステージだったのでは(トム加入以前は、R&Bバンドだったらしいが)? もしそうなら、それはアイビーズがそう望んでいたからであり、その方針を変更した時バッドフィンガーと名前を変えたのではないだろうか?

 今回の若手メンバーの中から、将来の人気グループの一員が登場しないだろうか!? ちょうど20数年前ゲイリー・ウォーカーに連れられて来日したジョーイが、その後世界に羽ばたいていったように・・・。

〔星合轍〕


【ユー・メイク・ミー・シック 1991年4月】

 基本的な選曲は1989年のアメリカ・ツアーの内容に似ています。この時は 〝コール・ミー〟 〝エンジェルス・ライク・アス〟 〝ヒア・カムズ・ハートエイク〟 などがレパートリーに加えられていましたが、今回の日本公演ではそれらに代わって 〝アンディ・ノリス〟 (松村氏の力?)などを演奏しています。ジョーイは「〝ウィズアウト・ユー〟 〝アイ・ドント・マインド〟 〝アンディ・ノリス〟 を演奏したんだよ。素晴らしかったよ」と言っていたそうです。

 今回の来日では、比較的小さなライブ・ハウスが選ばれました。当初心配された観客動員数は思っていた以上に良かったのですが、オーディエンスの乗りは悪かったです。動員数というのはバンドの知名度+人気だろうし、客の乗りというのはそのバンドの熱狂的なファンの数やその年齢層に影響されると考えてよいのではないでしょうか。バッドフィンガーのコンサートに集まったオーディエンスは、コンサートを楽しむというよりも分析しているようにさえ感じました。年齢層は10代後半~40歳くらいといったところで、中心は20代の男性でした。オールド・ファンにしてみれば、中には20年間待った人もいるだろうし、すでにピートやトムはいないわけだし、コンサートが始まるまではどのような音を出すのだろうか? どのような曲を演奏するのだろか? と、その心境は複雑で、一抹の不安さえ抱いていたのではないでしょうか。一方、若いファンは情報先走りの感があり、「ロッキング・オン」誌上ではしばしば取り上げられ、また、アップルのグループでビートルズの弟分だったと報じられる中で、音は聴いたことがない(聴きたくても聴けないのだから仕方がない)が、一度見ておこうという人が結構多かったのではないでしょうか。しかしオールド・ファンも、コンサートが始まってバンドが送り出す力強い演奏に妙に納得してしまい、少なくともコンサートの間はピートやトムの幻影はその演奏にかき消されていたようです。

 いずれにしても、ライブだけではバッドフィンガー(ジョーイ)は語れないし、スタジオ録音だけでも語れないのです。バッドフィンガーの真価が問われる(発揮される)のはやはりオリジナル・アルバムが全部再発されてからになるでしょうね。特に評論家の皆様、オリジナル・アルバムをちゃんと聴いてから、正当に彼らを評価して欲しいものです。

〔上坂清之〕

 
 
 
 ギター・マガジン Guitar magazine #149 (May 1991) 

 1991年 ジョーイ・モーランド来日直前インタビュー 
 
 [通信25号] ジョーイ・モーランド / トーク・ライブ (渋谷HMV 1991年2月9日) 
 
 [通信25号] バッドフィンガー / 東京 クラブ・クアトロ (1991年2月10,11日) 
 
 [通信25号] バッドフィンガー / 大阪・名古屋 (1991年2月12,13日)