バッドフィンガー通信25号 1991-03-01

1991年3月1日発行 第25号


来日に関する記事 

【中日新聞 1991年1月23日】

 ビートルズの弟分バンドとして70年代初頭デビュー。哀愁を帯びた美しいメロディと優しく暖かいコーラス、そして耳ざわりのいいポップなサウンド。その名バンドが、亡きピートとトムの意志を受け復活。2月13日名古屋ボトムラインでのチケットを2名様にプレゼント。永遠のポップスに乞うご期待。


【プレイヤー 1991年2月号】

 90年代の今頃、バッドフィンガー初来日と聞いて驚かない人はいないだろう。現在、彼らのアルバムのほとんどが廃盤で、一部コレクターを中心に何万という高値で取り引きされている状態だ。そんな幻のバンド、バッドフィンガーを簡単に紹介しよう。

 1965年にピート・ハム、マイク・ギビンズを中心に結成されたアイビーズを前身バンドにスタートした彼らは、トム・エバンス加入後の68年にビートルズのマネージャーに認められ、ビートルズが設立したアップル・レコードと契約、シングル〝Maybe Tomorrow〟でデビューした。ジョーイ・モーランド加入後バッドフィンガーと改名し、リンゴ・スター主演の映画「マジック・クリスチャン」の主題歌〝Come And Get It〟(ポール・マッカートニー作)、〝No Matter What〟、〝Without You〟など多くのヒット曲を生み出して一躍人気バンドとなるが、73年にワーナーに移籍後、低迷状態が続き、とうとう75年4月、ピートの首つり自殺というショッキングな結末をもって、バンドは解散してしまうのである。その後の再結成も、83年に今度はトムが自殺し、決定的な終わりを告げることになった。しかし彼らのビートルズに匹敵するような美しいメロディとハーモニーの熱心な支援者は後を断たず、ここ数年の間に編集盤が各種リリースされているのに次いで、日本でもようやく 『デイ・アフター・デイ』 という74年のライブ盤が発売されることになった。初期アップル時代の名曲の数々を聴くことはいまだに容易なことではないが、ピートのソングライティングの素晴らしさは、ワーナー時代の作品でも十分に感じ取ることができる。それになんと言っても、2月の初来日公演でジョーイとマイクの生き残り組がしっかりと彼らの歴史を裏付けてくれることだろう。

〔渡辺まり〕



【FMステーション 1991年 3号】

 解散後15年以上を経た現在も、一部ロック・ファンの間で熱狂的な人気を誇っているバッドフィンガー。その彼らの初来日公演が、なんとこの2月に決定した。バッドフィンガーはビートルズが設立したアップル・レコードから1969年にデビュー。ビートルズの弟分として人気を集めたが、リーダーのピート・ハムの自殺が引き金となって、75年に解散。その後再結成したが、今度はトム・エバンスの自殺によって再び解散した。が、近年はジョーイ・モーランドがバンドを復活させ、ビートルズ関係のイベントなどで演奏活動をしていたとか。今回の初来日公演も、当時のメンバーはジョーイただひとりである。なお、来日に合わせて、彼らの全盛期の貴重なステージを収録した 『デイ・アフター・デイ』 が、2月25日にリリースされる。
Day After Day Live 74 fax
Badfinger 1991 HMV flyer
 
 


1991年3月1日発行 第25号



2月10日 東京 クラブ・クアトロ ライブ 

【橘通信員】 5時に入場。タバコをふかしビールを飲んで待つ。私の隣に座っていたのは松村さんでした。当然、一言も会話はなかったのですが、開演までの時間、ロッキング・オン誌のジョーイのインタビュー記事はとっても良かったとか、バッドフィンガーのアルバムが全部CD化されればいいのになぁとか、彼に聞こえるように大声で周りの人たちと喋り捲っていました。実はこの席、リザーブのパネルが置いてありましたが、ひっくり返して何気なく座り込んだのでした。音響効果は最高でした。

 そして5時50分頃、メンバー登場。ドラムスの音出しが「これがライブだ!」と言わんばかりの大迫力。気持ちが高まる。オープニングは意外や意外〝アイ・ドント・マインド〟。ジョーイのボーカルも素晴らしく、バックもグレート! 後はもう盛り上がりっぱなし。〝デイ・アフター・デイ〟〝ベイビー・ブルー〟〝嵐の恋〟 〝アイ・ガット・ユー〟〝スーツケース〟〝バンパイア・ウェディング〟などなど、好きな曲の連発。〝ゲット・アウェイ〟はアルバムのバージョンを軽く凌ぐ出来映えで、ライブは凄い。大好きな〝アンディ・ノリス〟など、カッコいいったらありゃしないし、〝スウィート・チューズデイ・モーニング〟も良かったな。〝ミーン・ジェミマ〟はテープで聴いていたのと大違い。凄まじいドライビング・ロックでした。でも一番感動したのは〝ミッドナイト・サン〟。ピートの曲作りの素晴らしさに改めて感動。

 第一部しか行けませんでしたが、今までに見たコンサートの中で一番感動しました。ジョーイにはまた来日してもらいたいです。



【池田通信員】 バッドフィンガー、素晴らしいステージでした。サポート・メンバーが若いせいか、ジョーイを始め4人のノリが凄まじく、大変勢いのあるうるさい演奏を聴かせてくれました。特にドラムスのジョニーはエネルギッシュかつタイトなドラミングで、すごくカッコ良かったですね。

 最初の2~3曲は「あぁ、僕のバッドフィンガー」という、やや感傷的な気持ちで観ていたのですが、ショーが進むうちに次第に僕の脳裏からピート、トム、マイクの幻影が消えていきました。とにかくジョーイ&3人の「これでもか、これでもか」というエネルギッシュな音に圧倒され、感慨深くなるどころではなかったのです。「これでいいんだよ。今この時を楽しもうぜ!」という、ステージからの熱気が会場を包みました。

 ライブ・アルバム 『デイ・アフター・デイ』 の「自然さの中にも少し陰のある当時のライブの雰囲気」とはどこかしら違う、今回のリラックスした明るいステージは、やはりジョーイの陽気なキャラクターがあったからこそだと感じました(マッカートニーそっくり)。それにジョーイは手抜きなどまったくなしでよくやってくれたと思います。また、サイド・ギターのレズリー・ウエストみたいなマイク君も良かったなぁ。このメンツでバッドフィンガーとしてアルバムを一枚でいいから作ってもらいたいが、そうはならないらしくて少し残念。しかし、ソロ・アルバムが確実に出るので、この日本公演の勢いを作品に注入してもらいたいですね。



【今村通信員】 バッドフィンガーのライブ、楽しんできました。ステージの前の右端からじっくりジョーイの姿を見ました。第一部は日本での初ステージというせいもあるのか、みんな緊張気味。ちょっとバラバラって感じがしましたが、第二部はメンバーのウォーム・アップも終わってか、ずっと充実した演奏を聴かせてくれました。

 ジョーイの曲はさすがにジョーイの熱唱を聴かせてくれましたが、他のメンバーが歌うとちょっと寂しかった。特にマイケルくん。〝カム・アンド・ゲット・イット〟、ちゃんと歌の練習して欲しかったな。

 〝ベイビー・ブルー〟〝デイ・アフター・デイ〟〝嵐の恋〟そして〝ウィズアウト・ユー〟(これは第二部だけだったね)と、往年のヒット曲はうれしかった。大好きな 『Say No More』 からもたくさん演ってくれたし(でもキーボードがないとつまんないよ! 今度は必ずキーボード・プレイヤーを連れてきて欲しい)、アップ・テンポの曲中心だったのはさすがにロックンローラーのジョーイならではと納得。知らない曲とか新曲とかも、2回目には思わず一緒に歌ってしまいました。

 ジョーイのMCもとっても楽しかったけど、お客のシラーっとした態度、あれは良くないね。お客の年齢層が高かったとか、外人さんがいなかったとか理由はいろいろあると思うけど、せっかくスタンディングだから、歌って踊って欲しかったな。すごくノリが悪いんだもん、みんな。

 ジョーイに何かプレゼントをと思って花束を持っていったのですが、アンコールの時もスッと引っ込んでしまって渡せず。仕方なく第一部と二部の間に楽屋越しにジョーイを呼んで、強引に渡してしまいました。すごく喜んでいましたよ。誰もプレゼントを渡さないんだもん・・・。で、後で楽屋へどうぞって招待されたのですが・・・。まあ、第二部ではバックステージ・パスを持っていたので楽屋へ入ることはできたはずですが、結局外で待たされるはめに・・・。ああいう時は自分の権利を主張していいんですよ、同好会のみなさん!
Badfinger 1991 Guest pass Feb 10

 ビルの1Fのエレベーター前でじっと待っていると、ようやくみんな降りてきて、ジョーイとゆっくりご対面! ここでも女の子は私ひとりだったので、えらく歓迎されてしまいました。コーラばかり飲んでいておなかがすいたって騒いでいたけどね。

 パンフレットにジョーイを始め、みんなのサインをもらい、ジョーイが他のファンたちに囲まれている間は、ギターやベースのお兄ちゃんたちとおしゃべりし、車に乗り込んだジョーイをしっかり見送りました(ここでの会話も非常に面白かった)。私はこのようなことは慣れているので、ずうずうしく振る舞ってしまいましたが、今までで一番リラックスしたお見送りでしたよ。警備の人もいないし、ファンもおとなしいし。でも、ジョーイにはちょっと気の毒かな・・・。みんな、もっと明るく、ずうずうしくなって!



2月11日 東京 クラブ・クアトロ ライブ
 

【関口通信員】 当日券で行ってきました。なぜか前売りに手を出さず、アレヨアレヨという間に2月に入って、念のため電話してみると当日券でも大丈夫ということで、2日目の第一部に行ってきました。開演6時のところを、道を尋ねながら到着した頃は10分近くも遅れちゃって心配したのですが、まだ始まっていませんでした。

 同好会の人たちはどこにいるのかな? 勇んで前の方に行っている帽子をかぶった若者は、あまりにミーハーすぎるかな? この人はサラリーマンっぽいしな・・・、この娘はウットリしている・・・とか、友人はいないかな? 芸能人はいないかな? マッキー? 松尾? 杉? 和久井? ・・・。辺りをうかがっているうちに照明が落ちて、〝アイ・ドント・マインド〟。

 ジョーイ以外の人、トムじゃない。アメリカの大学生? ピートもいるわけない。ハンサムな人。ドラムスも感じ良し。ジョーイも若い。
Badfinger 1991 Japan 43 c
ポール以来の外人ライブだ。ポールは遠かった。クアトロは後ろでもジョーイは近い。バンドは上手だと思いました。ベースの人にボーカルを取らせたりもしましたが、ご愛嬌ということで、うまいけど味がない。やはりジョーイの声は慣れているというか味があるというか・・・。たぶん誰かが曲順をメモしたり、細かいことはメモしていると思いましたので、おおらかに見ていたわけです。

 ロックンロール・バンド。ナイスなロックンロール・バンドです。さすがベテラン、天下のバッドフィンガーのロックンローラー、ジョーイですもの。決めの心地よさ。ツインのワクワク・・・。とにかく一回観て、ジョーイに感謝して、もうこだわりは捨てました。ピートとトムだけではないと。バッドフィンガーでした。あれはバッドフィンガーでした。いない人のことばかり思ってて・・・。ジョーイは頑張っている。気持ちが変わった。ありがとう。みなさん、ありがとう。みなさんの努力にパンフレットを一冊購入。次のアルバムは大期待!

 ひとつだけ頭にきたことは、招待状で入ってくる、さほどファンとも思われないような人たちの態度。そばで話し声を聞いて思いました。たぶんレコード会社とか評論関係の業界人。さも知っているように懐かしがったり・・・。奴らはパンフを買ってない。 



【服部通信員】 この度の来日に際して、サイン会やコンサートへ出かけ、楽しい一時を過ごしました。また、星野会長、橘さん、今村さん、菊地さんなどにもお目にかかりました。コンサートは、福井さんの言うように「1990年代のバッドフィンガーを聴く」という考えで観ました(大正解!!)。

 ジョーイは変にお馴染みのナンバーばかりを演奏するのではなく、『Say No More』 や 『After The Pearl』 からの曲や、〝バンパイア・ウェディング〟〝オー・イェー〟のようにレコード化されていない曲もガンガン演奏。本当に演りたいことを演るという感じで、とにかく好感が持てました。『Say No More』 や 『After The Pearl』 からの曲が流れた時、会場のほとんどの人が知らなかったようで、ノリも悪かったです。過去のジョーイにこだわらず、現在のジョーイを素直に受け入れて楽しめばいいのに・・・。

 ジョーイ以外ではA.J.ニコラスの活躍が目立ち、しっかりとジョーイをサポートしたり、自身もボーカルを取るなど頑張っていました。本当に楽しめたコンサートでした。


 
 
 
 [通信25号] ジョーイ・モーランド / トーク・ライブ (渋谷HMV 1991年2月9日) 

 [通信25号] バッドフィンガー / 大阪・名古屋 (1991年2月12,13日) 

 [通信30号] バッドフィンガー / 来日ライブ・レポート (1991年) 
 
 1991年 ジョーイ・モーランド来日直前インタビュー