ピート・ハム (1947年4月27日生) 
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☆アルウィン・ジャクソン (小学校入学前からのピートの幼なじみ) 
 
「ピートはみんなからピギーと呼ばれていました。でもそのあだ名を嫌っていました。だから僕はピートとかハモと呼んでいました。4-5歳の頃、僕がトライアングル、ピートがタンバリンでよく遊んだことを覚えています」

「大きくなったらポップスターか自動車デザイナーになりたいとピートは言っていました。彼はスケッチが得意で、アメリカンスタイルの車のデザインをよく描いていました。それは大きなもので洗練されており、とても精巧でした」

「彼はアスリートではなかったけどサッカー好きで、フラムFCのジョニー・ヘインズが彼のヒーローでした。近所の男子10数人でよくサッカーで遊びましたが、その中にひとりだけドロシーという女の子がいました。彼女とは今でも当時の思い出話をしています」

「ピートが音楽に興味を持ったのは彼の兄ジョンの影響です。ジョンは毎週末、玄関の前でトランペットの練習をしていました。7歳頃からハーモニカを吹き始め、10歳の頃には休み時間にハーモニカを吹くピートのまわりに人が集まっていました。かなりうまかったです」

「前夜ビッグベンバンジョーバンドという番組で流れた曲のバンジョーをまねてハーモニカを吹いていたピートは、その後ギターを始めました。ピートと一緒にギターを弾いた第一号が僕。といっても僕はギターを弾けないので、デタラメにかき鳴らしただけですが」

「ピートはいつも自分のバンドを作りたいと言っていました。そんなある日、校門で左手の小指を潰すという事故に遭いました。ギターを演奏することはできましたが、小指で弦を押さえることに支障が出ました。それで彼は小指を強化することにしたのです」

「武道家たちが指を強化する方法を以前本で読んだことがあったピートは、それをまねて、いつも左手の小指を地面に押しつけたり、ブリキ缶に砂を詰めて小指で動かしていました。そうやって校門で傷めた小指の先を強化したのです」
 
 
 
☆ロイ・アンダーソン (ピート最初のバンド、パンサーズのドラマー)
 
「小学校の時、校門のゲートに挟まれて小指を潰してしまった子がいるというニュースが駆け巡った。枠に手をかけている時に誰かがゲートを閉めてしまったらしい。その指を挟まれた少年がピートだった」

「ピートには中学の時にも指に関する逸話があるんだ。教室のピートの机の下側に何故か小さな穴があった。授業中にその穴に指を突っ込んでいたピートは、授業が終わっても指が抜けなかった。それで先生がグリースを塗って、やっと彼は解放されたんだよ」

「私の友人のデビッド・フランクリンはギターを弾いた。近所でギターを弾く同年代は珍しいので、ピートとも友人になった。ピートの姉アイリーンは地元のジャズクラブの会員で、彼女の友人からスネアドラムを借りることができた。それで私がドラムス担当になったんだ」

「3人の最初のセッションはピートの家のキッチンだった。ピートの母のキャサリンについて言っておかないとね。彼女は今までに会った人の中でも最も親切で優しい人だった。彼女を知る人はみな彼女を愛し、彼女の心暖かさと誠実さを感じていたよ」

「私がバンドを辞めた後もピートとは連絡を取っていた。はっきり覚えているのは21歳の誕生パーティに招待されたこと。そこにはトムもいて、彼にアイビーズのオリジナルドラマーだと私を紹介してくれた。トムは非常に礼儀正しかったよ」

「ピートの死は私の父から聞いたけど、詳細はよくわからなかった。それで翌日、ピートが最初に作ったバンドのオリジナル・メンバーのデビッド・フランクリンと一緒にピートの両親に会いに行ったんだ。ピートの母キャサリンは悲しみに沈み、声もかけられない状態だった」

「ピートの父から詳しい状況説明を受けた場所はキッチンだった。そこはピートを含めた私たち3人が初めてバンド練習をした場所。あの時、10数年後のピートの悲劇や、40年後にもピートの名が音楽界に輝いていることなんてまったく想像もしなかったよ」