デビュー50年。

「レスリーは僕が初めて夢中になった女の子だった。ダンス会場で会ったんだ。本当の一目惚れ。でも彼女が故郷に帰ってしまったのを知り、書いた曲が 'メイビー・トゥモロウ' なんだ。人生が変わっていくのはおもしろいね」--- トム・エバンス 
 
 
「売れっ子のデニー・コーデルがアイビーズのデビュー盤のプロデューサーとして依頼され、私が彼のアシスタントに選ばれました。そして1968年7月24日に 'ダディは百万長者' のバッキングトラックを録音しました」--- トニー・ヴィスコンティ 
 

 
「デニー・コーデルは張り切って仕事に取り掛かりましたが、結果には不満足でした。マイクのタイムキーピングに愕然としたのです。マイクはほとんどの部分でリズムが一定せず、グルーブにピッタリはまらない。まだ若くて経験がないことが原因だったのでしょう」--- トニー・ヴィスコンティ 
 
 
 
「アイビーズとの2日目。ジョー・コッカーやプロコル・ハルムとの仕事を控えていたデニー・コーデルは、"こんなセッションはもうやらない。君が引き継いでくれないか" と言いました。私は 'ダディは百万長者'  と 'メイビー・トゥモロウ' を仕上げ、'メイビー・トゥモロウ' にはストリングスを追加しました」--- トニー・ヴィスコンティ 
 
 
 
「'メイビー・トゥモロウ' の曲自体にはヒットするためのあらゆる要素が含まれていたけれど、なぜかイギリスではパッとしなかった。僕が思うには、演出の面で何かが欠けていたんじゃないのかな。トニー・ヴィスコンティのね」--- ロン・グリフィス 
 
 
 
「バッドフィンガーはポールを通してアップルに来たと思ったけど、'メイビー・トゥモロウ' は印象に残っているね。初めて聴いた時、ヒットすると思ったよ」--- リンゴ・スター 
 
アイビーズが 'メイビー・トゥモロウ' でデビューするのを知ったポール・マッカートニーの反応
「エバリー・ブラザーズの昔の曲?」