バッドフィンガー通信 Badfinger

2017年10月


こんにちは、リード・ケイリングです。きょうは私が臨時でこのコーナーを担当します。まず最初はアメリカのミルウォーキー在住の私からのお便りです。
「バッドフィンガー通信のみなさん、こんにちは」
バッドフィンガー通信のみなさんはいないけど、こんにちは。 
 
「私はこれまでたくさんのバンドで演奏してきたわけですが、その中でも音楽的に一番充実していたのはどのバンドでしょうか?」 
って、こんな感じでやればいいの? 好きにやってもいいんだよね? じゃ、始めます。 
 
Tom Evans & Reed Kailing
Badfinger 1982 b
やっぱり間違いなく、バッドフィンガーの時だね。あれはすごかった。ガレージバンドのようなエネルギーがあった。やってて楽しかったし、サウンドはもちろんのこと、その時経験したすべてのことが今でも忘れられないよ。バッドフィンガーのツアーに参加した経緯も言った方がいいいの? 
 
あ、やっぱ言うんだ。参加した経緯はね、当時バッドフィンガーはミルウォーキーにいたんだよ。トム・エバンス、マイク・ギビンズ、ボブ・ジャクソンの3人だね。彼らのマネージャーから電話があって、ツアーのためにギタリストを探しているとのことだった。興味があるかと聞かれたからぜひやりたいと答えたんだ。ずっと前からバッドフィンガーのファンだったからね。すると彼はスライド・ギターを弾くかどうか聞いてきたんだ。だから正直にスライド・ギターはやらないと答えると会話が止まってしまったんだ。 
 
不採用かな? と思うだろ。ところがどっこい、なんとか話を続かせようと考えてたら閃いたんだ。カリフォルニアの知人はスライド・ギターの名手で元シカゴのドニー・デイカスだというと、彼は一緒にやってくれると思うか? という方向に会話がシフトしてきた。で、最終的には私と一緒なら必ずやりますと答えて、実際にそうなったというのが経緯だね。 
 
ここでちょっとドニー・デイカスのことを紹介しますよ。彼はシカゴにいたことは有名だけど、その前にはスティーブン・スティルスと一緒にやってたんだね。それから映画にも出演してるよ。何かのバンドのツアー・メンバーで来日したこともあるらしいしね。 曲いってみます? 1976年の ドニーとスティーブン・スティルスとの共作曲でドニーも一緒に歌っている Closer To You と、1979年のシカゴ時代にそれを再録音した Closer To You 、そして1979年の映画 Hair のドニーが歌ってるシーンです。 
 



 
バッドフィンガーでツアーしている時の出来事を話そうか? 私はよく肌触りのいいサテンのズボンを履くんだけど、その時はラインが目立たないように下着はつけないことにしていたんだよ。どこだったか場所は忘れたけど、アンコールでステージに勢いよく飛び出したとき股を開きすぎたのかビリっと破れてしまったんだ。腰のバンドのおかげでかろうじて露出はしなかったけど、その破れたズボンは中西部のどこかのクラブの壁に今でもぶら下がっているとかいないとか。 
 
同じようなことは続くものでね。同じズボンをもう1組持ってたんだけど、その時はショーが始まったばかりの2曲目の演奏中だった。隣に立っているギターのドニーとちょっとじゃれ合ってね。空手のマネをして右足でキックをしたらまたズボンが破れちゃってね。ドニーだけに見えるようにお尻を向けたら、彼は大笑い。1時間半の間ずっと股間を隠すようにギターを低く持って、客席には絶対に後ろを見せないように演奏し続けたんだよ。 
 


 
ツアーが終わってどれだけ経ったか覚えていないけど、一度トムから国際電話があったよ。彼はすごく盛り上がっていて、もう一度ツアーに行く気があるかって言うんだ。それは場合によっちゃ行ってもいいけど、前回のツアーでの私たちのパフォーマンスは実際にもらった報酬の少なくても2倍の価値はあると思うからね。また同じような条件なら無理だなぁと答えるとトムは「確かにそうなんだよなぁ」って。その次はなかった。それが最後。それからどれだけ経ったか定かではないけど、トムと私の共通の友人から電話があったんだ。「リード、座って落ち着いて聞いてくれよ。酷いニュースがあるんだ」と。どうしたの? と聞くと、「きのうトムが逝ってしまった。首をつって」 
 
ジム・クロウチの飛行機事故の話もあるんだけど、バッドフィンガーは関係ないから簡単に済ませちゃうけど、いい? グラスルーツにいた時、ツアーの途中で小さな空港に着いたんだ。そこにはチャーター便が一機とレンタルのステーション・ワゴンが一台しかなかったんだ。そこから北に130km移動したかったんだけどちょうどそこに居合わせたのがジム・クロウチのツアーの一行。ジムとグラスルーツは同じレーベル所属だったんだけど、向こうは南に飛びたがっていた。当時はまだジムよりもグラスルーツの方がビッグだったのでその日最後のチャーター便を譲ってもらおうとしたけど、最近のヒット曲は俺たちの方だと応じてもらえず、コインで決めることになったんだ。私がポケットから25セントコインを出し、そのコインの裏表でジム側が勝ち、飛行機は南へ、私たちはワゴン車で北へ向かった。ジムたちの墜落事故のニュースを聞いた時はショックだったね。 
 

 
最後に、以前出演した番組を紹介してお別れです。これを見れば私の経歴が全部わかっちゃうよ。バッドフィンガーのことは ここから だよ。ではまたね。 
 
Reed Kailing: A Life In Music 
      from the Hardy Boys to the Grass Roots, Beatlemania, and beyond... Badfinger 

Tom Evans & Reed Kaiking 2
 
 
 
 [お便りコーナー 6] 1969年から73年頃のバッドフィンガー 

 [お便りコーナー 4] スウォンジー、1977年6月 

 [お便りコーナー 3] いい奴じゃん 

 [お便りコーナー 2] ウィズアウト・ユーのオリジナル 

 [お便りコーナー 1] クレイグ・マーシャルはピート・ハム 

 

 
次のお便りはアメリカのサンダースさんからです。これはすごい体験ですよ。 
 
 
「バッドフィンガー通信のみなさん、こんにちは」 
こんにちは 
 
「みなさんは覚えていますか? 1977年6月の自分のことを」 
年までなら覚えているけど、6月と言われてもわかりませんねぇ 
 
「1977年6月、私はスウォンジーに到着しました。バッドフィンガーの関係者に会える確証もなかったけど、とにかくスウォンジーへ行ってみたかったのです。まず安い宿を見つけることから始めました」 
スウォンジー旅行記ですね 
 
「その夜ホテルでやったのは、電話帳を借りてきて、ハムという名字の人に直接電話するという作戦です。その何軒目かの電話に出た女性がヒントをくれました。ジョン・ハム・ミュージックに電話してみたら? ピートのお兄さんですよ、と」 
早くも関係者発見ですか 
John Ham otayori
 
「翌朝、その番号に電話しジョンと話しました。彼はとてもフレンドリーで、楽器店に招待してくれました。それほど遠くなかったので店にはすぐに到着しました。店に入る瞬間、ピートはここに何度も何度も来ていたんだよなぁと思い、感動しました。待っていたジョンと暫く話していると、彼は言いました。ピートのギター、見ていきますか? と」 
John Ham otayori 2
 
「ジョンの後に続いて3階まで上がると、6つのギターケースが並んでいました。アコースティックとエレキが3つずつです。ジョンはケースを開け、ギブソンのSGを私に手渡してくれました。弦は湿った海の空気の影響か少し錆びており、ボディもほこりが少しついていましたが、きれいな状態でした。ビートルズはバッドフィンガーに何本もギターを譲っていたそうで、これもそのひとつとのことでした。2004年にこのギターがオークションで高額落札されたのをニュースで知り、驚きました」 
これですね 
 
「ジョンは他のギターも見せてくれ、6本全部を試し弾きさせてくれました。この素晴らしい体験の後、下の店に戻るとジョンがこう言いました。マイクは時々この店に来るけど会いたい? もちろん会いたいです と答えると、それじゃ私の友人のマーティン・エースの家に泊めてもらえるか尋ねてみるよ。彼はマンのベースでマイクともよく演奏している仲だよ と。私がお金に余裕がないことを察したジョンはその場で話をつけ、結局その日はエース家に宿泊することになりました」 
とんとん拍子で話が進んでいきますね 
 
「ジョンが書いてくれた住所のメモを持ち店を出、それほど時間もかからずエース家を見つけベルを鳴らすと、30歳くらいの細身の男性が出迎えてくれ、妻と4歳の娘を私に紹介してくれました。私はエース家の居間に数日間滞在しました。その間マーティンは彼が過ごしてきたバンド、マンの話やウェールズの音楽シーンのことを教えてくれました」 
この当時、エース夫妻のバンド Flying Aces のドラマーがマイク。夫婦は夏以降破局し、解散らしいですね 
 
「エース家最後の日、ピートが眠る墓地に花を捧げたく思い、その場所をマーティンに尋ね、教えられた火葬場の最寄りのバス停で降りました。大きな建物に入るとき、雨が降り始めました。廊下を歩いて行き、礼拝堂の前に立つ老人にピート・ハムのことを尋ねました」 
 
「老人は最初、70年代初めに亡くなっていた別の人物のことだと思ったらしく、話が噛み合わなかったので再度ピート・ハムだと伝えたところ、大きな本を開いて暫くページをくくっていました。 これかな? 指先のリストには ハム ピーター・ウィリアム の文字がありました。老人は墓地の方を指し、ピートの遺灰はそこにまかれたが、彼の墓石はない と説明しました。お礼をし外に出ると、雨の中に遠くまでたくさんの墓石が見えました」 
 
「その後最初のホテルに一泊し、翌朝ジョンに電話。ジョンはすでに話をつけてあるのでマイクに連絡しろ と電話番号を教えてくれました。マイクに電話すると自宅へ招待され、妻のゲイナーと息子のオーウェンを紹介してくれました。ふたりで音楽の話をしていると、マイクは側面にぶつけた跡があるマーチンのギターを持ち出し、スティービー・ワンダーのキー・オブ・ライフの曲を弾き始めました」
 

バッドフィンガーの雨の散歩道とミッドナイト・コーラー、スティービー・ワンダーのキー・オブ・ライフからの2曲を続けてどうぞ。 




 
CM 
 
「その後、このギターはジョージ・ハリスンがバッドフィンガーにくれたもののひとつで、これを使って何曲か作曲したと言って弾いてくれました。他にもルボックスのテープレコーダーに録音した昔のデモ録音曲も聴かせてくれました。マイクは活気があって陽気で、音楽だけではなく、さまざまなことを話してくれました。ピートの曲に漂うメランコリーな美しい雰囲気についてマイクに尋ねると、それはウェールズ語で言うところの"hiraeth"だと説明してくれました。楽しい時間を過ごし、別れの挨拶をする際、翌日もう一度パブで会う約束をして別れました」 
 
「翌日のパブでの会話は、周りの騒音とマイクのウェールズ訛の英語のせいで理解するのが難しかったのですが、ミッドナイト・コーラーについて尋ねると、ピートが歌っているのは年老いた元売春婦の暗い人生についてだ と説明してくれました。その後はビールを飲みすぎてしまい、ほとんど記憶にありません。一つだけ覚えているのは、どこか他の部屋へ何かの理由で誘われたことと、そこへは行かなかったこと。とにかく飲みすぎてしまい、それ以外のことは覚えていません」 
 
「次に会った時、マイクから素晴らしいプレゼントをもらいました。アンペックスのオープンリールのテープで、箱にはレコード・プラントと書かれていました。マイクによるとバッドフィンガーが最後に録音したヘッド・ファーストというアルバムの10曲だそうで、マイク直々に作者名を書いてくれました。更にウィッシュ・ユー・ワー・ヒアの録音終了時にAIRスタジオで撮影された5枚の写真のコンタクトシートと、それとは別の数枚の写真ももらったのです。私は何度も何度もマイクに感謝しました。素晴らしい瞬間でした」 
Brooke Saunders Mike 1974
Badfinger Demo Reel to Reel Tape Head First
Badfinger Demo Reel to Reel Tape Head First t
 
ヘッド・ファーストからの4曲をどうぞ。 



 
CM 
 
「その後はロンドンに向かい、途中でマイクにメモしてもらったトムの家へ電話しました。しばらくトムと話し、その日会う約束を取り付けました。しかし電車の遅延のため約束の時間に間に合わなくなり、そのことを連絡するとトムもこの後は予定があるとのことで、残念ながら会えずじまいでした。帰国後もマイクとは数年間手紙の交換をしましたが、現在その手紙は行方不明です。しかし、ウェールズ訪問時に撮った写真はすべてあります。時差のことを考えずに電話してしまい、深夜のマイクを起こしてしまったこともありました。さようなら」 
 
 
ピートが亡くなって2年後のスウォンジーでの出来事でした。サンダースさんは現在も地元リッチモンドでバンド活動を続けており、2016年4月にはリッチモンド周辺のミュージシャンを集めてバッドフィンガーのトリビュート・コンサートの開催責任者を務めました。彼のバンドのニートルズも出演しています。
 
最後はこのコンサートの宣伝のためFMラジオに出演した際のニートルズのカバー曲を聞きながらお別れです。みなさんからのお便りをお待ちしています。さようなら 
 
ニートルズ 2016 
 
 
 
 [お便りコーナー 6] 1969年から73年頃のバッドフィンガー 
 
 [お便りコーナー 5] リード・ケイリング 

 [お便りコーナー 3] いい奴じゃん 

 [お便りコーナー 2] ウィズアウト・ユーのオリジナル 

[お便りコーナー 1] クレイグ・マーシャルはピート・ハム 

 

 
次のお便りはアメリカの、え~と゛、誰かな? 
Badfinger - Unreleased and Some Released
 
「3番、アメリカから参りました エドです。覚え方は東京の昔の名前です。バッドフィンガー通信のみなさん、こんにちは」 
こんにちは 
 
「30年近く前、大学卒業前後のことです。週末に帰ったフロリダの実家でローカル紙を読んでいたら、月曜日に行われるバッドフィンガーのライブの広告を見つけました」 
そういう人、多いですね 
 
「最初は信じられなかったです。というのもその会場は田舎の魅力を活かしたカントリー・ミュージック専門の施設として知られていました。なんか場違いな感じだったので、同名のまったく別のカントリー・バンドかとも思いました。それでそこに書かれていたチケットの販売元に電話をかけることにしました」  
 
電話が繋がるまで、リミテが1997年にカバーしたウィズアウト・ユーと、1983年11月6日付ビルボード誌カントリーチャートで12位のヒット曲、T.G.シェパードのウィズアウト・ユー、そして1995年のジュース・ニュートンとグレン・キャンベルが歌うウィズアウト・ユーを続けてどうぞ。なお、曲に続いてCMに入り、CM明けにそのままチケット販売元との電話の実況生放送が続く予定です。 
 
 

 
CM 
 
エド:こんにちは、月曜日の夜のバッドフィンガー公演の広告を見ました。これはロックグループのバッドフィンガーですか? 
チケ:はい、そうです。 
エド:これは70年代のロックグループのバッドフィンガーですか? 
チケ:そうですよ。 
エド:これは70年代イギリスのロックグループのバッドフィンガーですか?
チケ:はい、そのグループだと思います。 
エド:これはビートルズのアップル・レコードの70年代のイギリスのロックグループのバッドフィンガーですよね。 
チケ:お客さま、これがそのバッドフィンガーだと私は思っております。私が知っていることはもうすべてお伝えいたしました。 
エド:ありがとう! 
 
「当日、テーブル席でビールを飲みながらステージ上の前座バンドの演奏が早く終わらないかなぁと左のサイドバーの方を見ると、その後ろのコーナーに紳士が独りぽつんと座っていたのです」 
そういう人も多いですね 
 
「見慣れた人物というか、見慣れた人物が少し歳をとったバージョンです。ちょっと離れていたのですが、それはバッドフィンガーのドラマーのマイク・ギビンズのように見えました」 
マイク、出たぁ! 
 
「彼の席まで行きバッドフィンガーのファンだと自己紹介すると、彼は同席を許してくれたので、私はビールを2杯追加注文しました。しばらくチャットし、サイン用に持ってきたストレート・アップのLPを差し出しました。彼はジャケットの自分が映っているところにサインをしてくれました」 
他人のところには書きにくいからでしょうか? 
 
「最後にもう一枚、Unreleased and Some Released というまだ新しい2枚組のブートLPを出しました。マイクはそれにも丁寧にサインをしてくれ、そろそろ出番だからと立ち上がり、他のメンバーはショーが終わった後にサインしてくれるよ、と言ってくれました」 
マイク、いい奴じゃん 
 
「しばらくして、ステージに登場したバッドフィンガーは4人組で、マイクとジョーイ・モーランドの他は見知らぬ人でした。この後に名前を知ることになるのですが、ひとりはランディ・アンダーソン、もうひとりは、A.J.ニコラス、こちらは他の3人よりかなり若かったです」 
 
「カム・アンド・ゲット・イットやデイ・アフター・デイやウィズアウト・ユーなどバッドフィンガーのおなじみのヒット曲でスタートした後、当日持参したブートレッグLPにも収録されていたヴァンパイア・ウェディングやエンジェルス・ライク・アスが演奏されました。この2曲は数年後にジョーイのソロ・アルバムに収録されますが、この時点ではライブ会場かブート盤でしか聴けなかった曲です」
 
それでは、ジョーイ以外のメンバーは異なりますが1980年代末のライブから エンジェルス・ライク・アスとヴァンパイア・ウェディング を続けてどうぞ。 
 
  
 
CM 
 
「他にはマネー、ベイビー・ブルー、明日の風、スウィート・チューズデイ・モーニング等のなじみの曲に混じって、ホールド・オン、ザ・ドリーマー、アイシクルズといったあまり知られてない曲も演奏されました。アンコールが終わる頃にはかなり感銘を受けていました。そしてバンドが彼らの別れを告げ、観客が出口に向かう中、私はステージに進みました。マイクとジョーイは見つかりませんでしたが、他のふたりがいたのでブート盤を出し、両人にサインしてもらいました。ふたりともそのアルバムを見るのは初めてのようで、熱心にトラックリストなどを見ていました」 
ふたり、いい奴じゃん 
 
「ジョーイとマイクはどこにいるのか尋ねると、たぶんツアーバスに戻っているとのことなので急いでバスを探しに行くと、乗車口に警備員が立っている大型バスを発見しました。警備員にアルバムを見せ、ジョーイにサインをしてもらいたいのですがと伝えると、彼はちょっと待ってろと言い、中に入っていきました」 
警備の人、いい奴じゃん 
 
「しばらくして戻ってきた警備員は、ジョーイは入っていいと言ってる とのこと」 
ジョーイ、いい奴じゃん 
 
「中で興奮しながら20分ほどジョーイとチャットし、最後にサインをお願いしました。まずストレート・アップにサインしたジョーイは、次に出されたブート盤を見るや これにはサインできない ときっぱりと拒否しました。ジョーイによるとこれに収録されている最近のデモ曲は彼が出演したラジオ番組をエアチェックしたものだそうです」
ブート盤にサインを頼んじゃだめじゃん  
 
「マイクが亡くなった際、私は未亡人となったエリーさんに会い、15年前のマイクとの出会いを彼女に伝えることができました。そしてその4年後、ツアーでフロリダに来たジョーイと楽屋で再会し、あの夜の思い出を彼に伝えました。さようなら」 
エド、いい奴じゃん 
 
バッドフィンガーのバック・アゲインを聴きながらお別れです。みなさんからのお便りをお待ちしています。さようなら 
 
 
 
 
 [お便りコーナー 6] 1969年から73年頃のバッドフィンガー 
 
 [お便りコーナー 5] リード・ケイリング 

 [お便りコーナー 4] スウォンジー、1977年6月 

 [お便りコーナー 2] ウィズアウト・ユーのオリジナル 

 [お便りコーナー 1] クレイグ・マーシャルはピート・ハム 

 

 
Willy Russell  one of my closest friends in my early teens was Tom Evans 
初めて行った キャバーン で ビートルズ を見た 14歳の ウィリー・ラッセル と トム・エバンス。その後ふたりとも別々に ポール・マッカートニー と関わることになる。 
 

バディ・ホリー好きのウィリーとエバリー・ブラザーズ好きのトムが初めてライブを見に行ったのは、それほど好きでもなかったシャドウズのショーだった。その直後、少し年上のすでに働いていた友人にふたりでシャドウズを見てきたことを話すと、彼はキャバーンのランチタイム・セッションによく行っていると言った。キャバーンを知らなかったので調べてみると、ランチタイム(学校に通っているので、当然行けない)以外に夜間営業もしていることがわかった。14歳のふたりは両親にキャバーンの名は出さず、ちょっと出かけてくると言うと、10時までに必ず帰宅するという条件で許可された。
 
9時15分、そろそろ帰る時間だなぁと思っていると、今まで見たこともない髪型の4人がステージに立った。これは見るしかない。彼らは  Some Other Guy を演奏し、その時ふたりの少年の人生が変わった。 

この後2週間も経たないうちにギターを買ったウィリー。その間トムとは会っていなかったが、実はトムも F-hole Hofner を買っていたことを知った。トムのギターの腕はあっという間に上達し、ビートルズのようなバンド活動を始めた。ウィリーはその後ボブ・ディランを知り、自分にも曲を書けることを発見した。 
 
 
1969年後半、アイビーズはポール・マッカートニーの曲をポールと一緒に録音し、大ヒットさせた。それを歌ったのがトム・エバンスだった。
 
 
1978年、劇作家になっていたウィリー・ラッセルのもとにポール・マッカートニーから連絡があった。Wings のフィルムの脚本依頼だった。ポールはウィリーをスコットランドの家に3週間滞在させ、その間Wingsはアルバム「Back To The Egg」を録音した。ウィリーの脚本(仮題「Band On The Run」)は完成したが、このフィルムが製作されることはなかった。しかしその後もポールとの親交は続いている(らしい)。 
 
May, 2001 Sir Paul McCartney reading poetry with Willy Russell 
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/wales/1358422.stm
Paul McCartney reading poetry with Willy Russell 2001
 
 
 
John, Paul, George, Ringo... and Bert も有名(日本では Willy Russell の脚本/演出だというのはあまり知られてないが)  
John, Paul, George, Ringo … & Bert

 
 
 
Bob Jackson の娘の Emily とも関わっていた。 
DAUGHTER OF 70s POP STAR GETS HER BIG BREAK IN WILLY RUSSELL'S BAND (2004) 
Tim Firth & Willy Russell - Same Thing Twice [2004 Live] 

Willy Russell (lead vocals & guitar) Tim Firth (lead vocals & keyboards) 
Willy Russell 2004Tim Firth 2004
バックバンドに Emily Jackson (v,k,b) 当時まだ大学生 
Emily Jackson 2004
Andy Roberts (v,g) も。他に Gavin Kaufman (v,b,k) Vidar Norheim (v,d,vibraphone) など 
Andy Roberts 2004
 
 
 
ふたりは14歳の時初めて行ったキャバーンでビートルズを見て、その後まったく別の道を進んだが、ひとりは8年後、もうひとりは17年後にポール・マッカートニーと一緒に仕事をした。
 
すごい 幼なじみ。 
 
 
 
 すごい 幼なじみ 1 

 

何年か前にメモしたものが出てきた。

好きなバンドを9選び、好きな順に背番号(1-9)をつけます。
打順を考えます。
守備位置も考えます。
発表します。

打-守-名前-背番号 
1-中--Pilot--7 
2-ニ--Honeybus--4 
4-投--Badfinger--1 
5-三--Stackridge--3 
6-遊--Amazing Blondel--5 
7-右--Lon and Derrek--8 
8-捕--Phillip Goodhand-Tait--9 
9-左--Wackers--6 

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