昨日に引き続き、1960-70年代の音楽関係者の口寄せ専門だという潮来の指太郎さんにお願いして、バッドフィンガーのマイク・ギビンズさんにお越しいただいております。
前作に入っているレイアウェイはピートさんについての曲?
「そうだよ。歌詞を聴けばピートのことが浮かんでくるだろ?」
ピートさんは一般的には物静かでとてもいい人だと言われていますが、ライブ中に苛ついてピアノを蹴ったこともあったとか?
「そりゃ、彼もアーティストだからね。そういうこともあるだろ。そういえば、ヘッド・ファーストをレコーディング中だったけど、ピートがチューニング中のギターをピアノに叩きつけたことがあったよ」
ジョーイさんともステージで揉めたりしたと聞きましたけど、そういうことはよくあった?
「あったね。ギターでいえば、ジョーイはグルーブを求め、ピートはメロディの男だった。でもピートはいつでもジョーイに合わせてギターを弾くことができたよ。もともとジャズみたいなものの素養があったからね。でも、よく衝突してた」
それは音楽のことで? それともそれ以外の個人的なことで?
「うん、どちらもあったね、両方とも」
ピートさんが一時バンドを離れたのは、キャシーさんが主原因?
「そうだね。そうだと思うよ。キャシーはバンドをマネージしようとしていたよ。みんなにアドバイスしたり、電話連絡したり。実際のところ、契約に関しても口を出してきたよ。まぁ、解散後のジョーイに対してやっていることと同じだね」
バッドフィンガーの伝記本は読みました?
「ちょっと読んだよ。で、興味がなくなって途中でやめた。結局は金儲けだね」
どういうこと?
「タイトルに The Tragic Story of ってついているから想像できないかもしれないけど、実際にそこで過ごしていた俺からすれば、大部分がいい思い出だったんだよ。争い事もなかったし、親友同士だった。だからこそ、あんなに素晴らしい音楽を残せたんだよ。それでなきゃ無理だよ。俺たちは新進気鋭の一つにまとまったバンドだった。ほとんどの期間、素晴らしかった。食い物にされたり自殺するなんて誰も予知できないよ。そんなこと考えもしてなかった。俺たちが主役だったし、ほとんどの記憶はいい思い出だよ。残された音楽がそれを語っているだろ」
ジョーイさんとキャシーさん側で書いているという本に関しては? ちゃんと真実が書かれると思う?
「どうなのかなぁ。完成するのか? わからないね。完成を願うよ。そしたら読む。たぶんこんな感じになるんじゃないかな」
どんな感じに?
「ジョーイ・モーランドはバッドフィンガーを結成しました。そしてすべてのヒット曲を書きました。世界的ヒット曲のウィズアウト・ユーはメンバーと共作しました。そしてすべては戯言です」
マイクさん、2011年にもう出版されましたよ
「えぇぇぇ~ 俺が死んでから出すなよぉ」
ヘッド・ファーストについてはどう? かなりいい出来だと思うんだけど
「それはジョーイがいないからでしょ。彼が辞めた後の録音だから。ピート・ハムとの最後の仕事になってしまったね」
ジョーイさんもリハーサルで参加した曲はないの?
「ないよ。もういなくなった後だから」
それじゃ、ヘッド・ファースト発売に関連してはジョーイさんには一銭も行かない?
「それはない。全く無関係だから。でもバッドフィンガーの名前を使わせてくれないかもね。ジョーイのバンドのピートより長くいる人に訴えられちゃうよ(笑)」
ヘッド・ファーストの発売計画(実際には2000年に発売)はマイクさんのアイディア?
「ワーナーは録音後ずっと放置してきた。で、調べてみたら、彼らからは俺たちに何も支払われていないことがわかったんだ。それで発売もできそうだと感じた。ほとんどの曲のマスターテープのコピーも俺が持っていたしね。LAのレコード・プラントでのミックスはよくないけど、ロンドンでやったものは音もいいね」
曲に関しては?
「すごくいい曲もあるね。たとえば、レイ・ミー・ダウンは好きな曲だよ」
ムーン・シャインは?
「強制によるストレスのもとで書かれた曲だね。当時は給料も支払われておらず、当然蓄えも底をついている状態だった」
当時、スタン・ポリーのくそったれがバッドフィンガーのお金を支配していることを知っていました?
「当然知っていたよ。でも選択の余地はなかった。そうするしかなかったんだ」
当時のボブ・ジャクソンさんについては?
「マンと一緒にイングランドとウェールズをツアーしたんだけど、彼は全面的に参加したよ」
バンドにはフィットしてた?
「うん。違和感なかった。ボブは曲も書けるので、そのまま時が進んでいたら、第二・第三の中心メンバーになっていただろうね」
ポール・マッカートニーさんとはマジック・クリスチャン後も付き合いがあった?
「いや、特別なことはなかった。ピートが亡くなった直後に、ロンドンのホテルで偶然ポールに会ったよ。リンダとウイングスのメンバーもいたね。ピートのことやその他いろいろ話したよ。ポールは一杯おごってくれて、背中に触れて言ったよ、What can I say? って。ポールにとってもピートのことはすごくショックみたいだった。それがポールに会った最後だよ」
そんなこともあったんだ
「ウイングスにドラマーの欠員があった時、申し込もうとしたけど、その時はデニー・レインの友人に決まってしまって間に合わなかったんだ」
バッドフィンガー解散後の活動は?
「ボニー・タイラーのシングル、イッツ・ア・ハートエイクに参加してるよ。それとアルバムにも。かなりヒットしたね。彼女のツアーでドイツにも行ったし」
それから、リグビー・リチャーズというオーストラリアのカントリー&ウエスタン・シンガーのアルバムにも。基本的にセッション・ワークだね。デビッド・ティプトンのアルバムもやったな。他にもやったけど、あまり覚えてない」
ソロアルバムで気づいたんですけど、歌とドラムス以外に、ピアノやキーボードも演奏していますよね。それっていつものことなんですか?
「うん、いつもそうだよ。曲を書くのはピアノの方が楽だからね」
確かに、ドラムで作曲するよりはやさしいですよね。初めて演奏した楽器はドラム? ピアノ?
「父がドラムキットを買ってくれたのが14歳の頃で、それが最初だね。それ以前はナイフとフォークでハードカバーの本を叩いてたんだよ。本の題名は忘れたけど」
それで、お父さんに頼んだんですね
「それがね、ある日学校から帰ってくると、俺の寝室にドラム一式がセッティングされてたんだ。ほのめかしてはいたんだけどね、ドラムセットが欲しいなぁ って。でも直接頼んではいなかったから、ほんとびっくりしたよ。バスドラに Gigster ってロゴが入っていたよ」
こんな感じ?
「懐かしいな。こんな感じだったよ」
ソロアルバムはほとんど自作曲ですが、バッドフィンガー時代はあまり書いてませんよね? それ以前の10代の頃はどうでした?
「当時はみんな、女の子の気を引くためにバンドを始めたんだよ。ミュージシャンになるためじゃなかった。楽器を手に入れて、バンドに入る。それがその年代の楽しみなのさ」
でもドラムを選んだってことは、何か音楽的にインスパイアされたことがあるんですか?
「14歳の頃はビートルズの人気がすごくて、ローリング・ストーンズもそれに続こうとしていた時だね。女の子たちはみんな金切り声でビートルズを追いかけてた。 それを見てみんな、'俺もやりたい状態' 。それで同じ髪型にして同じような楽器編成にした。それが楽しい。ビジネスじゃないし。ただただ楽しかった」
トッド・ラングレンさんについてはピートさんやジョーイさんとは違って好印象なんですね
「一緒に仕事をしていて、彼は素晴らしかったよ。何をやるにも素早かった。もたもたしたところがなかったよ。彼とは馬が合った。あのアルバムの評価は、ジョージがみんな持って行っちゃったけど、実際はトッドのおかげだよ」
トッドさんは、デイ・アフター・デイのプロデューサー名がジョージさんになっているのを知って、むかついた と言ってますね。それは偶発的? アップル内部による意向?
「わからない。でも最近はトッドも怒ってるね。ジョージが自分だけで手柄を持って行った って」
ジェフ・エメリックさんがプロデュースした曲もジョージさんがプロデュースした曲も、全部同じようにトッドさんがやり直したのに、エメリックさんの名前は消されていて、ジョージさんはそのまま残ってるという点に意図的なものを感じる って
「でも本当にそう思うよ。トッドが得た評価は、実際にやったことには遠く及ばない」
ジョージ版デイ・アフター・デイはどんな風だったの?
「ジョージのはドラムの音なんて明らかによくなかったよ。それでトッドが録り直した。今聴くことができるデイ・アフター・デイはドラムの音がいいだろ? 最初はこんな音じゃなかったもん。ジョージのオリジナルはこれほどよくなかった。だからトッドはほとんどの部分を作り直したよ。グレートジョブだったね」
トムさんのトッド評はどうなんだろう?
「さぁ、どうだったかな。トミーからは聞いたことあるような、ないような。どうだったかなぁ。あ、そろそろ帰るわ」
トムさんに会ったら聞いておいてくださいよ
「いいよ。それじゃまたな」
あ、直接トムさんを呼べばいいのかぁ